瞑想を覚醒させる魔法 最強瞑想法は日本にあり

脳覚醒瞑想 超変性瞑想 瞬間瞑想 瞑想トランス 様々な名称を持つ岩波英知先生の瞑想法の紹介。日本で唯一の誘導瞑想法の特殊な体験記を書いているブログ。世界最強の瞑想を体験したいと考えている人は必見。

極限の瞑想状態・トランス状態に入った時、脳と潜在意識にどんな奇跡の時間が流れているか

 

極度の瞑想状態・トランス状態への覚醒方法

極度の瞑想状態・トランス状態。それは時間が大きくズレること

脳のズレ=時間のズレ=瞑想状態の深まり

極限の瞑想状態・トランス状態は脳がずれている。
そのズレとは何がずれているのか?
逆に何がずれたら、脳が覚醒状態に入っていくのか?


今回はそのブログです。

 

極限を超えた瞑想状態、トランス状態がたしかにある。
それは誰もが体験できるもので、聖者やグルだけの特権ではない。

では、理想の瞑想トランス状態時に、脳と潜在意識にはどんな時間が流れているのだろう?

 

時間感覚が変容=変性意識状態

瞑想状態が、変性意識状態の入り口に入れた状態から、悟りを開ける状態まで幅広いことをいうが、軽い変性意識状態は時間が普通と流れがあまり変わらない。
しかし、極限状態になった時、時間の流れが変わる。

 

瞑想をやらなくても、人間には時間の流れを変えられる偉大な力がある。
一般人ほど時間のズレが生じないが、特に一流アスリートほど「ゾーンに入った」経験をしている。
その時間は非常にゆっくり流れているように感じたり、ものすごく加速した感じの中で自分の意識だけがゆっくりだったりする。
このゾーンに入った状態は瞑想状態にも当てはまるだろう。


参考(外部ブログ)
極度の集中状態、フロー状態からゾーンに入った体験 脳が覚醒した時の効果について

 

脳が集中力を増すほど時のスピードが変わる

いや一般人だって、時間のズレを認識できるはず。
身近な事例では、趣味に熱中していていつの間にか深夜になっていたとか、あまりに退屈すぎて、10分が3時間ほどの時間に感じるとか。

 

集中力が限界を超えて、極限の集中力を発揮した時、時間がずれ、脳もズレる。
このズレこそが、瞑想状態・トランス状態に深く入っている証拠。

 

つまり、時間の感覚がズレはじめた時、脳は変性意識状態に入り始めたことになり、極度に時間感覚が通常とかけ離れた時、脳は完全に別世界に入っている。
これこそが、瞑想状態の理想形だと思う。

 

深い瞑想状態には定義がいろいろとあるが、時間がずれるほど意識が変容状態に入ることが大きな要素だと思う。
瞑想を何時間も何十時間もぶっ続けでできる人間がいるのは、完全にトランスにトリップしているから、外から見ている普通意識の人間が想像する時間の流れとは違っている。

 

瞑想のおいて時間は厄介者、意識したら苦しむ

瞑想をやっていて、時間が完全にズレるほどの瞑想状態に入ったことがないのならば、まだまだやらなくてはいけないということかもしれない。
しかし、時間を意識した時点で、時間は苦痛の何者でもなくなる。
そこが大きな障害だ。

 

時間を忘れて没我の状態で瞑想の没頭することが大事だと言っても、どうやっていいかわからないし、時間を意識したら苦痛なだけ。
瞑想がうまくいかない時は、時間と戦うときだと言っていい。

 

なぜ長時間もぶっ続けで瞑想ができるのか?

では、どうやったら時間をずらす理想の瞑想状態になれるのか?

私の経験でも人から話を聞いても、長時間瞑想を続けられる人は、気持ちいいからに他ならない。
脳内麻薬が脳から全身、つま先まで巡ってくれるから、それに浸っていればいい。
疲れ切った身体を温泉につからせているように。
温泉はのぼせてしまうが、脳内麻薬は自分の中で出ているだけに、ずっと味わっていられる。

 

つまり、気持ちよくなることだ。
気持ちよさに浸っていると、時間がズレる。

 

時間の感覚をズラすコツ

しかし、ここでコツがある。
その気持ちよさも捨て去る、放り投げること。

 

そうすると、更に脳内麻薬が不思議とドバドバと出てくれる。
求めないから出てくれる。
この流れに入ると、脳内麻薬がさらにすごいことになり、本当に天国にいるような夢心地になる。
すべてと溶け合って一体化できる。

 

時間なんて忘れている。
一瞬は永遠だという宇宙意識を発見できる。
永遠は一瞬だと思ったり、完全に哲学を超えた哲学の感覚に浸れる。

 

その時、10分は10分ではない。
これが瞑想状態・トランス状態が引き起こす時間と感覚の奇跡だ。

 

どれだけ瞑想に深く入れるか、それは時間がどれだけズレるか。私の体験から

もう一つ、時間の感覚が異常にズレた私の体験を紹介したい。
最強誘導瞑想法を行える岩波先生が作り出す時間の魔法だ。

受けた多くの人が、ほんの数秒の出来事を
3日間寝ていた
一週間経ったようだ
1年のように感じる
いや50年、と再現がない時間のズレをいう。

同じ人がその感想がどんどん伸びている。
これらの感想は必ず聞けると思うので、耳を傾けてほしい。

 

私も時間が異常にズレた時、脳の奇跡を実感できた。
トランス状態が深まると、時間がどんどん時間が長く感じるようになり、「永遠は無駄、無は永遠だ」と通常発言すると、「アッチ側」の人間だと誤解されるようなことを口走ったこともある。
その時はとても感動して言葉に思わず出てしまったが、私は一つの真理を掴み取った感激があった。

 

覚醒瞑想状態は、自分でやる瞑想とは違って、ほんの数秒の誘導が年単位に感じる。
脳が極限を超越した証拠だと思う。

 

時間と脳と瞑想、時間とプライド

脳がズレたら瞑想状態になる。
脳がズレるということは時間の感覚がズレること。

瞑想状態・トランス状態とは時間の感覚が異常にズレればズレるほど、その効果が引き出される。

 

そして、私が確信したことがある。
いくら時間をかけて瞑想をしても、時間を意識した時点で効率が悪くなる。
時間をかけたのだからと効果を求めてしまいやすく、時間を意識して苦痛になりやすい。

 

時間のことを忘れよう。
積み上げてきた時間はとても大事だが、そこのプライドも捨てる。

そうするとはじめて、積み上げてきた時間が自分に味方をしてくれる。
時間がずれ、脳がずれ、奇跡的な効果と時間が到来する。

 

 

 

カテゴリ別記事紹介

 

 

瞑想状態と脳内をさらに覚醒させるためにやるべきこと、やってはいけないこと

 

f:id:brainsan:20181210190727j:plain

瞑想状態、これ以上深まりが難しいと感じる人へ


瞑想から最大限の効果をあげるために、やるべきこと、やってはいけないことがある

 

このスピードの早い現代社会。
社会人をしていると、身も心もすり減り、理性だけを使って、人間本来の純粋さが失われ、疲れ果ててしまう。

 

瞑想をやるからには、本来の自分を取り戻し、さらに脳内と瞑想を覚醒状態にもっていくぐらいやってしまったほうがいい。
それぐらいの可能性があるのだから。

 

瞑想で気合はいらない、必要なことはなにか?

しかし、瞑想覚醒状態・脳覚醒状態は、覚醒しようと気合を入れれば入れるわけではない。
むしろ逆で、「沈黙、黙想、状況判断しない、求めない」ことが覚醒条件だ。

 

カギカッコの言葉は、まさに瞑想のことだ。
どのようなことかというと、ただ在ること。
老荘思想的な無為自然、禅のあるがままと似ている。
デカルト的に「我思う、故に我あり」もただ在ることと似ているだろう。

 

ただ在ること、受け入れること、抗わないこと、流れのままに

なぜただ在ることが、覚醒状態につながるのか?
脳覚醒状態や瞑想覚醒状態とは、脳内や潜在意識の一番深いところに、自分の意識が潜り込んだ状態だ。
そこには創造性、閃き、直感力、そして本能の力が眠っている。

 

普段はそれを理性とメンタルブロックで抑え込んでいる。
それを瞑想で解き放つには、気合では駄目だ。
自分を放棄する、それぐらいにならないと、アクセスはできない。

 

しかし、不思議と「ただ在ること」で瞑想とトランス呼吸法を続けていると、脳が反応していくのがわかる。
それでも求めず、判断もせずに、すべてを受け入れてやっていると、さらに意識が深まっていく!

 

瞑想覚醒状態、脳覚醒状態のやばさ

それはとても静寂で純粋だ。
しかし、脳がやばいほどに活性化しているのも感じている。
まるで宇宙全体と一体化したかのような神秘体験とも言える。

 

これは瞑想以外ではありえない。
瞑想をリラックスやストレス解消法だけで終わらせるのは本当にもったいないのは、その先が永遠にあるからだ。

 

しかし、瞑想状態が覚醒しつつあるなかでも『判断しない』。
これは「いいことか・悪いこと」か「続けていいのか、やめるべきか」「求めていいのか、どうなのか」などは必要ない。
捨ててしまったほうがいい。

 

評価や分類や意味付けは放棄しよう。
これらの行為は理性を使い出す。
そうすると純粋な場がひどく乱れていく。
スーッと醒めていく。

 

そこも超えると、永遠の創造性、思いもよらないインスピレーションが降り注ぐ。
とても幸せで、興奮してしまう。
自分が何者なのか感覚でわかり、何をすべきか定まり、自分の中に強い波動エネルギーを感じる。

 

思考の中に瞑想の夢を破壊する毒薬がある

まだまだ脳覚醒状態には先があるだろう。
だが、もしそこで努力感と状況判断を使いだしたら、バブルが弾けるように夢から覚めてしまうだろう。
一瞬で見事な花を枯らす理性という毒薬が降り掛かったように。

 

 

ただ在ること、状況判断しないこと、求めないこと、受け入れること

 

この瞑想のコツが掴めたら、瞑想を覚醒させられる。
努力がいらない、ただ感じればいいのだから、ある意味とても楽だ。
瞑想は楽だ。
楽だと思えたら瞑想がますます楽しくなるし、神秘性が増す。

 

自力で難しいと感じた人へのおすすめ瞑想法

もしも自力で瞑想がこれ以上深まらないというジレンマに陥ったら、誘導式覚醒瞑想を受けてみてください。
ただ在ること、受け入れることをするだけで、脳覚醒状態に一瞬で入れるでしょう。

 

そして、家で「ただ在ること」を実践すれば、誰でも自分の力で瞑想覚醒状態に入れるようになります。
10年が1,2日に圧縮できる方法です。

 

 

 


 


 

究極の瞑想状態(超変性意識)に覚醒する大事なポイントが1つ

f:id:brainsan:20180730133512j:plain


瞑想を信じられる唯一の方程式

瞑想には大事な方程式がある。
これを知って瞑想をするのと知らないで瞑想をするのとでは、超変性意識に入れるか、時間を浪費するだけに終わるかの差が出てくる。

 

それは(瞑想に限らないが)何かを手に入れたければ、そのものへの執着を手放さなければならないこと。
瞑想は自由になるために存在しているといっていいかもしれない。
それなのにとらわれて、執着をしていることは、自分のマインドを縛り付けている行為だ。
瞑想をやるにしても瞑想への執着を消すことで悟りの道が開ける。
悟らなくても、変性意識に入れる。
それも、勝手に深まっていくのだ。

 

執着を捨てれば最高の宝物を拾える

 

瞑想や精神世界だけにとどまらない法則だ。
執着を捨てられた人間だけが、宝物を拾える。
手放せたものが自由を満喫できる。
それができない人はいつまでもとらわれて、目的も達成できず、さらに欲しがっては得られない欲求不満の人生になっていく。

 

 

もちろんそれを瞑想をやる人はどこかで知っているはずだ。
しかし、瞑想にそれを求めてしまう。
どうしても欲が出てしまい、効果を欲するあまり瞑想をものにしたくなる。

 

そうではなく、瞑想や精神世界のことすべても手放す覚悟でやる必要がある。
だからすべてを手に入れられる。

あなたが理想の瞑想状態、つまり超変性意識状態に覚醒した時、必ず求めていない精神状態になぜか入っていったと思う。
しかし、求めていないのに何故かあちらから求められる。

 

身近な例。眠りの精神状態

眠りもそうだ。
眠ろうとしたら眠れず、求めれば求めるほど神経が昂ぶり、眠る行為ができなくなる。
下手をすると不眠症となり、眠りに執着をするあまり、いつでも眠れる自由を失ってしまう。

 

瞑想も眠りも結果は求めないほうがいい。
執着の度合いがすぎると、なんにも得られず、おそらく思考の産業廃棄物だけが溜まっていくだけだ。

 

なぜ人は求めてしまうのか? 瞑想がうまくいかない原因

執着はなぜ生じるのか?
それは不安や恐怖から生まれる。
不安や恐怖から無意識的に逃れたいから、執着をする。
執着をしたその先は、安定と平穏が待っていると思うから。
しかし、瞑想や精神世界の心理は逆のところにある。

不安や恐怖を消したければ、求めてはいけない。
受け入れることだ。
それは覚悟に通じる。
覚悟ができた人だけが、すべてを手に入れられる。

 

仕事でも、人間関係でも、瞑想でも精神世界でも全てだ。
その匙加減が瞑想で学べるのだから、瞑想は様々なことを気づかせてくれる。
いや、なんにも発見できないまま瞑想をやるなんて、それこそ恐怖だ。

 

究極の瞑想状態、超変性意識が覚醒した状態とは?

逆に理想の超変性意識状態(瞑想状態)の時は不安や恐怖なんてなくなっている。
至福感に満たされ、安心感と充実感がとんでもない。
プラスのエネルギーに包まれ、すべての執着がない。
しかし、すべてをわかっている。
瞑想すらどうでも良くなる。
過去の苦しみもどうでもよく、未来への不安も感じない。
ただ自分が存在しており、肯定感の塊になっている。

 

結果なんていらない、求めない。だからこそ…

瞑想にはこんなすごい効果が確かにある。
だからといって、口を酸っぱくして言いたいが、それを求めてやろうとしてはいけない。
結果なんてどうでもいい。
どうせそうなるのならば、もとめない、執着しない、すべてを手放す。
瞑想すら捨てる気持ちで、瞑想や呼吸法をすればいい。

 

そして、瞑想のすばらしさを体験した人は、その次も、その素晴らしき体験を捨てる、手放す。
必ず昨日の経験を求めるからだ。

このコツが掴めたら、いつでも瞑想から人生を一変させる効果の恩恵に預かることができるだろう。

 

カテゴリ目次

 

 

 


 

瞑想を覚醒させる魔法がある さらなる高みへ、停滞を打ち破り瞑想の本質効果を得る方法

f:id:brainsan:20181203113653j:plain


瞑想を覚醒させてはじめて、瞑想は瞑想になる

なにやら禅問答のような書き出しから始まりましたが、瞑想というものはすぐ停滞しやすい。
なぜ瞑想は停滞するのか?
そして瞑想を覚醒させる魔法とは何か?

 

瞑想の達人が陥る罠

瞑想の厄介なところは、効果の凄さを知っている人、瞑想の神秘的で奇跡的な体験をした人ほど、瞑想に求めすぎてしまうポイントにある。
瞑想が得意な人は、瞑想に答えを求めたりしたら、逆に答えが出ないこともよく知っている。
しかし、無意識の何処かで効果を求めてしまっている。
知と感情は別だということだ。

 

それが停滞につながる。
しかし、効果を身をもって知っているだけにやめられない。
やめたらそれまでの修行も無駄になる。
だから続けるしかない。停滞感の中ででも。

 

瞑想を始めたばかりの人が直面する壁

一方、瞑想の効果をまだわかっていない人、でも本に書かれてあるように瞑想はなにかすごそうで、自分のベネフィットになると確信している人がいる。
しかし、瞑想がどれだけすごいのか実際に体験しなければつかめないから、やはり瞑想の効果を求めてしまう。

 

本に「ただあること」「その瞬間瞬間だけに意識を向けること」が書かれてあるが、瞑想の効果を求めて始めているのに、その心境にはなかなか達しない。
それこそ交通事故に合う確率で、たまたま瞑想のゾーンに入らなければわからない。
そのうち、瞑想はつまらなく味気なく苦しいだけだと思って、やめていってしまう。

 

瞑想を覚醒させる魔法

停滞感を打破したい、瞑想の真髄を体感したい人、自分のやってきた瞑想を遥かに高く深く覚醒させたい人にはとっておきの方法がある。
自分の瞑想力を爆発的加速する方法だ。
それはこのブログで度々紹介してきた岩波先生の瞑想覚醒誘導技術である。 

瞑想の体感の積み上げがない人も、瞑想に自信が持っている人も、瞑想の本質的な効果に誰でも触れられる。
どうやるのかは受けてからのお楽しみだ。
瞬間誘導瞑想で、別世界にいる。
その時全身全霊で、奇跡を目の当たりにするだろう。
(奇跡を感じられるかどうかは、回数も必要だが、感覚のいい人は初回から行ける)

 

ただ一つ言っておきたいことは、奇跡的な体感を味わえると入っても、岩波先生の誘導技術は、脳の瞑想スイッチを的確に押せる、まさに脳を知り尽くしている達人だからでいる神業だ。
それを岩波先生がまだ若い頃に発見していたが、まだまだ力技だったらしい。
それが今やどんな瞑想に入れない人ですら、瞬時に軽やかに瞑想を覚醒させられる奇跡体験を味合わせられるようになった。

 

こればかりは受けてみなければわからない!
瞑想に自信を持っている人、多くの時間を使って瞑想を深める努力をしてきた人にこそ受けて欲しい。
瞑想が更に次元の違う瞑想に生まれ変わる。

 

自分で瞑想を深めるために必要なこと

岩波先生の瞑想覚醒誘導技術で、自分でも瞑想をして神秘的な体験を味わえるようになるが、そこでコツが有る。

それは状況判断をしながらやってはいけないこと。
かといって、あんまり『いらぬことを考えてはならぬ』と緊張してやるものでもない。
すべての抵抗勢力を受け流し、自分で努力している部分があれば、それをすべて捨ててみることだ。

 

効果を求めず、答えも知ろうと思わず、自分の状況が良いか悪いかも判断しない。
それをやって、トランス呼吸法を努力せずやっていれば、勝手に脳が反応してくれるだろう。
それはあなたの瞑想スイッチが押されているから、あとはいつ作動するか待っていればいい。

必ずスイッチは押されるだろう。
自然発生的に。
決して押そうとは思わない。

 

これができたら、自分の力でもとんでもない奇跡を味わえるようになる。
こう書いてしまうと期待をもたせてしまうが、実際にそうなるのだから、ただ待てばいいだけ。
あとはやる必要はない。

 

ものすごい感動が待っている。

瞑想の覚醒を求める人へ 停滞し続ける瞑想の無駄をカットする

f:id:brainsan:20181127130229j:plain

停滞し続ける瞑想は時間の無駄

瞑想をやって、大きな効果を得た人は長く瞑想を続けることができる。
瞑想をしても雑念地獄にはまったり、すぐ寝てしまう人は、すぐに瞑想をしなくなる。

 

しかし、ある程度の瞑想の効果を味わった人は、より深い効果を求め、そして未知の精神世界への好奇心にかられて、瞑想をやり続ける。

しかし、一部の人は、もしかしたら瞑想を挫折しておいたほうが良かったのかもしれない。
それは瞑想が長く停滞し続けてしまう人に起こる。

 

なんにも変化の起きなくなった自分の心ほど虚しいものはない
いくら頑張っても、何の変化も起こさない。
以前は瞑想の希望に満ちた効果を得ていたのに、同じ人がスランプに陥ってしまうのだ。

 

瞑想はとても難しい、下手をすると時間だけ失うかもしれない

 

だから瞑想は非常に難しい。
そして停滞した時間は、なにか見返りが後でやってくるかと言うと、何にもない。
その停滞を乗り越えた人だけが、「なぜ瞑想がうまくいかないか」を学び、フィードバックすることができるが、ほとんどの人が瞑想がうまくいかないまま挫折するか、瞑想難民になっていく。

 

停滞した瞑想の時間を無駄にしないためにも、瞑想合宿に参加するが、一時的なリフレッシュ感や高揚感、非日常性の刺激により、効果を実感するが、すぐ日常に戻るとまた瞑想が停滞していく。

 

瞑想が停滞してしまう人は、日常生活でも停滞しやすい。
脳が低い位置で動いているからだ。
エンジンで言えば、アイドリング状態でアクセルを踏んでも、脳がうまく作動してくれない。

 

もし瞑想で停滞してしまった時間を、他の趣味や有意義なことに使っていたらどんな生産性があったのだろう?
かといって、瞑想の魅力もわかっているから、いまさらやめられないというジレンマに陥る。

せっかくやっているからと欲を出して、あるいは焦って瞑想をやると、ご存知の通りもっと悪循環にハマってしまう。

 

瞑想を覚醒させる手っ取り早い方法

 

瞑想とは脳であり、潜在意識であるから、瞑想の体感を自分の体感の記憶から呼び起こせればいい。
話はとても単純である。

 

必ずあなたが瞑想で体感した変性意識状態を脳が記憶しているから、それを引き出すだけだ。
引き出そうとしてはいけない。
ただ感じるだけだ。
求めずに、自然にあるがまま、自らの感覚を受け入れる。
あとは勝手に瞑想状態が忍び寄ってくるのを待つ。

 

しかし、そううまく理想的にはいかない。
だから瞑想は難しい。

 

感じようとすると、あるがまま感じればいいのに、意図的に瞑想に入ろうとしてしまうのだ。
自ら入っていったら、瞑想状態(変性意識状態)は逃げてしまう。
追えばますますなくなっていく。

 

負い続けたら、脳は遠い記憶の倉庫にしまってしまう。
脳とは厄介だ。
潜在意識的にも、瞑想の素晴らしい体感の記憶は心の底にしまわれ、日の目を見なくなる。

 

頑張れば頑張るほど成果が得られない虚しさも、瞑想の欠点と言えるだろう。
そして、魅力でもあるが。

 

瞑想覚醒法

では、感じたら勝手に瞑想状態が引き寄せられてくるというのならば、強い瞑想状態を脳に味合わせるのはどうか?
自分では求めてしまう。
それならば、誘導されて、強く深い瞑想状態を最初に体験してしまうのだ。

 

これができるのは世界に唯一人岩波先生しかいない。
100人中99人(あくまで私の感覚だが)が、初回からいきなり超がつく瞑想状態に入れる。
この瞑想状態は、他の瞑想法で味わえる、99倍の深さがあるし、これぐらい強烈な体感ができたら、いつでも家で瞑想状態を引き寄せることができる。

 

あとは私達は呼吸法やイメージ瞑想で、待てばいい。
(私の経験から、求めないでトランス呼吸法をやるのが一番近道だ)
脳の記憶が、簡単に引き出せるようになる。
岩波先生の誘導のトランス状態の深さにはかなわないが、「!!!!!????!!!!」としか思えない感覚がどんどん深まってくる。

 

ストレスもいつの間にか消え失せ、幸せな記憶の中で浸れる。
とても心地良いし、凄まじい感覚でもある。
宇宙の真理を見た感覚になったり、超越した感覚を味わえたり、悟りの世界にも入れる。

 

瞑想を覚醒させるには、一瞬で瞑想覚醒状態に入れる岩波先生の技術をおすすめしたい。
これまでの瞑想の苦労がたった一回で(一日三回ほど誘導される)超えてしまうだろう。
「これが求めていたものだ、これだ、これなんだ!」という感動が湧き出てくるはず。

 

iwanami-dal.com

 

brainsan.hateblo.jp

 

 

brainsan.hateblo.jp

 

 

brainsan.hateblo.jp

 

なぜ瞑想がうまくいかないのか? 防衛本能の一線を超越することの難しさと突破する方法

f:id:brainsan:20181113092137j:plain

瞑想は究極の無へリセットすること、しかしその現実

瞑想の理想は究極の無だという定義ができる。
無になること、リセットが完全になされるということは、すべての苦悩、ストレス、苦痛からの解放であり、自由なとらわれのない心を獲得できる状態だ。

 

しかし、人間はどうやら普通にやっていたら「無」になることはむずかしいらしい。
無になりたいのにできない。
すべてを瞑想でリセットしたいのに、リセットを試みようとする自分が一番に無になれない。

 

瞑想はとても難しい。
一番やっかいなことは、無になれそうなぐらい調子が良いときほど、無になっていく自分が歯止めをかけてしまうのだ。
なぜ無を欲するのに、無になりたくない深層心理が働くのだろうか?

 

無になれない瞑想は、下手をすると瞑想をするほど、無ではない自分にとらわれる結果になる。
この無になるという理想の状態を、自分で制限してしまう心理と脳のメカニズムを知らないと、先に進むことはないだろう。
一人で瞑想を黙々とやる弱点をそこにある。
弱点と原因を知ることこそ、より瞑想力が覚醒してくれることに繋がる。

 

無になれない原因

実は人間の潜在意識、深層心理というやつは、顕在意識とは全く違う。
ある人間を憎くてたまらない、しかし深層心理では実は愛していたなんてことは、愛憎劇でよくある。
人間には変身願望があるが、その実、変わるぐらいならば停滞した現状で甘んじている方を好んでいる、なんてことは誰にでもあることだ。

 

その変わりたいのに変われない自分を突破できた人間だけが、最高の成果を人生で獲得できる人だ。
つまり、自分の防衛本能を突破しなければならない。
しかし理性の努力では本能を超越することなんて不可能だ。
だから、瞑想が理想的な方法なのだが、困ったことに無になれば変われることを知っているのに、無になる自分が怖い。

 

瞑想をしても結局現実世界と同じ壁に直面するのだ。
防衛本能は、本能だから、変わっていく自分に歯止めをかけてくる。
瞑想を深くやり続けている人は、そこを何度も何度も味わっている。
必ず誰もがこの壁に直面するだろう。

 

瞑想の多くが効果なし、もしくは気休め程度で終わるのは防衛本能を破壊できないからだ。
まして、一人で黙々とやっている瞑想法では、自分の防衛本能の強さを再認識するだけに終わるだろう。
この壁を突破した人だけが、本当の瞑想マスターだ。
残念なことに、瞑想の指導者の多くが、瞑想の価値をちょっと知っているだけに過ぎない。
なぜならば、究極の無のすごみを味わったことがないからだ。

 

一人で瞑想をやることの危険性

ある種の人達は、リミッターを外すことができる。
天才とも言えるが、実は厄介な危険性がある。
禅病、瞑想の魔境といった言葉を聞いたことがないだろうか?

 

防衛本能を簡単に超越してしまう人は、それに陥りやすい。
努力や苦労をせずに突破してしまうだけに質が悪い。
無という理想の状態になるどころか、逆にこれまで抑圧してきた負のエネルギーに飲み込まれてしまうのだ。

 

瞑想の合宿で発狂状態になったり、急に外に飛び出していく人やまるで悪霊に憑依されたような錯乱状態になる人がいるが、まさにそれだ。
防衛本能が上手くかからないのだ。

 

だから防衛本能は必要だ。
しかし、理想的な瞑想状態を味わうためには邪魔者でしかない。

 

瞑想は禅病や瞑想の魔境に入らないためにも、瞑想から徹底的に効果を得たい人は、しっかりした実力のある瞑想指導者のもとでやるべきだ。
こつこつ一人で瞑想や呼吸法をする時間を確保しながら、定期的に瞑想指導者のもとで追求したほうがいい。
軌道に乗れば、自力で理想の状態に入れるようになる。

 

しかし、防衛本能の壁、それ以前に理性の壁を超えさせてくれない瞑想指導者のもとでは意味がない。
それならば一人でコツコツ気休めでもいいから瞑想をやっていたほうがいい。
リラックス軽減効果だけでも、やる価値はあるのだから。
だが、それならば温泉に入ったり、旅行に行ったり、好きな映画を見ていたほうが効果があるのかもしれないが。

 

瞬時に理性の壁、防衛本能の壁を超えさせてくれる方法がある。
誰でも壁の向こう側に行ける。
行き詰まっている人でも、99.9%大丈夫だ。
最強の誘導瞑想法については過去記事を読んでください。
またその体験談についても書いていきたい。 

 

 

 

 

 

 

 

瞑想から劇的な効果をあげることは難しそうだが、実は拍子抜けするくらい簡単である

f:id:brainsan:20180910001000j:plain

瞑想は自分で入ろうとすると実に難しい。
イライラするほど難しい。
調子が良い時はいいが、毎日は続かない。
毎日続かないとイライラしてくる、焦ってくるから、悪い流れに入りやすい。

 

あれこれ考えだすと、雑念が頭を支配し、ますます瞑想を難しくさせる。
「人間は考える葦である」だから、どうしても考えてしまう。
考えないように決意しても、考えないことを考えるというジレンマに陥る。

 

ジレンマに陥ったら、頭が重くなる。
もやもやした気持ちで瞑想をやろうとしても、頭がクリアになるどころか、無理やりクリアになりたい気持ちが、更に頭を重くする。

こう考えると瞑想は実に難しい、そして実に面白い。
だから、瞑想を難しくして断念してほしくない。
瞑想は本当にすごい可能性と価値観を持っていることは確かだ。
ただし瞑想状態に深く入らなければ何の意味もないのだ。

 

瞑想にはそういう意味では価値はない。
ということは、本を読んで瞑想がわかった気になっても、何の意味もないということだ。
それは変性意識状態に入れない瞑想は無価値だということ。

では、瞑想状態に深く入るためにはどうしたらいいのか?
こんな難しい瞑想で、効果を実感できる瞑想状態に入れるのか?

 

瞑想は自分と瞑想そのものを信じられなくなったらおしまいだ。
自分を信頼してすべてを委ねられるからこそ、瞑想状態に深く入っていく。
瞑想の可能性を信じきれるからこそ、身も心も瞑想に捧げられる。

 

だが、瞑想を難しいと思い込み、瞑想状態に入れるかどうかわからない自分を信頼することなど不可能だ。
そんな状態じゃ何をやっても効果を上げることはできないだろう。

ここで強く主張したい!
瞑想は拍子抜けするぐらい簡単だ。
瞑想状態に入ることなど朝飯前なのだ。

なぜか?
もとより瞑想を自力でやるものだという固定観念が間違っている。
瞑想は瞑想状態に入ることが目的だ。
それ以上でもそれ以下でもない。
つまり、瞑想状態に人に入れてもらえれば、もはや目的は達成したも同然だ。

 

瞑想状態に深く誘導できるプロに任せれば、簡単に瞑想状態を味わえる。
瞑想状態を味わえたら、今度はその感覚を思い出すだけでいい。
どうやって思い出すか?
それは呼吸法でも、マントラを唱えることでも、イメージングでも、阿字観でもいい。
瞑想状態を体感した脳は、必ず思い出してくれる。
あとは自分を信頼するだけだ。

 

瞑想状態を体感した脳は、すぐ再生してくれるだろう。
そこに努力も焦りも必要ない。
ただ待てばいい。
力を抜いて、感じるだけで、深い瞑想状態に自動的に入れるようになる。

 

そのコツを掴んだ時、瞑想は簡単だと思うだろう。
そう思えた時、自分を信頼し、瞑想の可能性を誰よりも信じられている。
だから、いつでも瞑想の効果を引っ張り出すことができるのだ。

 

 

 

 

 

 

brainsan.hateblo.jp

 

最強の瞑想状態(トランス状態)に入る方法とコツ

f:id:brainsan:20180826223306j:plain

 

瞑想状態に入るために、何が必要なのか?
究極の集中状態?
無念無想?
泰然自若?
すべてをあるがまま受け入れること?

 

この答えは、すべて理性を捨てることにあると思う
瞑想をしている人のイメージは、目を閉じて座禅をしている姿が思い浮かぶが、ああいうジッとしているだけが、本当の瞑想ではない
それが静ならば、動的な瞑想もある

 

岩波先生と瞑想談義をしたことがあるが、ダンス、踊りでもトランス状態に入れるという
岩波先生は、ジャワかバリ島の奥地で原住民が踊り狂って、トランス状態に入った異様な光景を見たことがあるらしい。
そんな話をしてくれたのを覚えている。

 

若い女性が、観光客向けじゃない本場のケチャダンスをして、踊り狂った挙げ句にトランス状態に入り、生きた鶏の首を噛みちぎった姿を見たそうだ。
もしかしたら幻覚成分を事前に女性は飲んでいたのかもしれないが(原始的な祭りではよくある)、踊りだけでも人はトランス状態に入り、神がかりの状態になれるのだとわかった。
巨大なキャンプファイヤーがあったそうだから、火の圧倒的な威力もトランス状態を深めたのかもしれない。

 

いずれにしても、バリ島の現地人は、トランス状態に入るには、いかに理性を制限させるかを経験値として知っていたに違いない。
アマゾンの奥地でも幻覚作用のある飲み物を飲んで、シャーマンが神と交信するというし、何がトランスに必要かわかっている。
理性を幻覚作用でなくしてしまうのだ。
しかし、それだけではただのジャンキーになってしまう。

 

バリ島の例では、踊り狂うということがキーポイントだろう。
非日常的な祭りという状況も手伝って、理性がただでさえ少なくなっている上に、踊り狂うのならば、感受性の強い女性ほどトランス状態に入ってしまうだろう。
祭り参加者がみんな集団トランスに入っていたのかもしれないし、まさに理想的なトランス状態(=瞑想状態)だろう。

 

踊る、ダンスをすることは理性があっては決してできない。
つまり、瞑想状態になれるダンスがあってもいいわけだ。
静かな瞑想が苦手で雑念に邪魔をされる人は、踊り狂って瞑想をするのもいいかもしれない。

 

岩波先生から教わったことに、動きを徹底的にやって、一気に静止状態になることもとても有効らしい。
それは踊り狂わなくても、一定のリズムで動いていて(例えば上半身をその場を動かずにゆらゆらさせるだけ)、それを何時間か続けた後に、動きを止めて大の字になると、一気にトランス状態にはいっていくそうだ。
動きからの静止はとても有効的だから、瞑想がうまくいっていない人は取り入れてもいいかもしれない。

 

動くことは理性をなくす。
瞑想を単一的に座禅をする、マントラを唱える、チャクラを開くなど静的な方法に頼らず、もっと瞑想の概念を破壊した上で、瞑想に取り組んだほうがいいのかもしれない。

 

瞑想とは瞑想状態に入ることが重要であり、瞑想状態に入れば手段はどうでもいいのだから。

 

 

 

 

 

瞑想で不安は消えるのか? 瞑想中に不安になることがあったらどう対処するべきか

f:id:brainsan:20180818103806p:plain

瞑想は不安を消してくれる。
心がやすらぎ、心の心配事や重荷がす~と消えていってくれる。
瞑想が効果を発揮する時、ネガティブな感情が収縮していき、一度まっさらな精神状態になり、そこからポジティブシンキングが生まれてくる。
様々な気づきが見出されていく。

 

しかし、瞑想状態が不安を消してくれることは事実だとしても、不安が消えてくれる瞑想状態に入るまでの間に、逆に不安になることがある。
我々の心のは常に防衛されている。
瞑想をやる人にとって、自分のメンタルブロックの手強さを身にしみていることだろうが、メンタルブロックがあるからこそ、日常ではぎりぎりネガティブな感情が発生せずに、心の隅に抑圧して生きていられる。

 

過去の私のように常日頃から、何かあると不安の感情に苦しめられるようになったら、本当に生きづらいから、メンタルブロックが頑張ってくれている。
そのメンタルブロックが瞑想中にふとした瞬間に外れることがある。
そうすると、不安や悲しみや怒りなどのネガティブ感情を抑圧してきた人でも、急に不安になり、そわそわして落ち着かなくなったり、悲しい過去に直面して精神的に落ち込んでしまう。

 

しかし、メンタルブロックを外れることはとても大事だ。
問題は自分の抱えている不安などのネガティブ感情を解消できる深い瞑想状態にまで自分を追い込めるかが大事になる。
一度、メンタルブロックが外れたのならば、それ自体は歓迎すべきことだから、行き着く先までやってしまったほうがいい。
それに瞑想にとても向いていると言えるのだから。

 

瞑想中に不安になることがあったら、どうしようとうろたえるのではなく、ましてパニックに自分でするのではなく、優しく受け入れてしまうことだ。
その不安の感情は、紛れもなく自分だ。
自分の分身だ。
ずっと抑圧して生きてきた。
あなたを不安の感情で必要以上に苦しめないためにも。

 

そしてあなたの人生そのものだ。
不安の感情だけじゃない。怒りや悲しみも。
もしかしたら、感情の渦の中に『喜び』『愛情』『幸福感』もあるのかもしれない。
今はネガティブな感情に覆い隠されていて、見出すことができないが、必ずあるはずだ。

 

とにかくネガティブな感情群を優しく抱きしめ受け入れてあげよう。
けっして突き放してもいけない。
同時に冷静に客観的に見ることも必要だ。
同化するのではなく、客観的に見ながら受け入れてやる。
受け入れるということが難しいならば、受け流す感じが良い。
ああ、これが自分の人生なのか、それが自分自身なのならしょうがない。
そこで反発したり、抜け出そうともがくと、焦り、怒り、極度の不安状態になるだけだ。

 

私も岩波英知先生の誘導によって、脳覚醒状態(覚醒瞑想状態)に入った時、メンタルブロックが一瞬で外れ、ものすごい感情の津波に心が襲われたことが何度かある。
言葉に絶する体感だったが、感情の津波の中に、様々な悪い感情、ずっと抑え込んできた感情、過去感じてきた感情、それは悪い感情だけじゃなく、愛情や喜びも入っていた。

メンタルブロックが外れている自分(と岩波先生の技術のすごさ)に感激しながらも、初めて直面する感情の津波にどう対処していいかわからなかった。
しかし、不思議と脱力感が体にあり、精神状態もやわらかい感覚があったため、冷静に受け流しながら、自分のネガティブな感情と向き合うことができていた。

 

それは脳覚醒状態という最強の瞑想状態に入れていたからであって、中途半端で一人でメンタルブロックが外れていたのならば、私はどう対処しようもなかったと思う。
一人でうろたえて、不安を消すための瞑想で不安が増す結果になったことを受け入れられずに、反発していたのではないか。
その結果、先に書いたようにさらにネガティブな感情に苦しめられていたに違いない

 

瞑想状態が極度に深まると、悪い感情が浄化していくことは間違いない。
その奥に隠れている、いい感情(喜び、幸せ、愛)を見出すことができたら、はじめて瞑想はとんでもない効果を生んでくれる。
これは私の体験談からも間違いないことだ。

 

瞑想をやって不安になる人がいるが、それは瞑想の特性上しょうがないことだ。
まずは瞑想状態の入り口に入れたことを喜ぶべき。
そして、不安の対処法をきちんとすることで、次のステップに進むことができる。

 

ただし非常に抑圧された人生を生きてきて、かつ感性が鋭い人は、一人ではやらないことをおすすめする。
ネガティブな感情の津波に飲み込まれた時に、冷静に強く対処できる指導者の力が絶対に必要だ。

 

 

 


 

 

 

 

体感、実感、体験のない瞑想に人生を変える力はゼロ いつまで無駄な瞑想を続ける!?

最強の瞑想法と超越瞑想やヴィパッサナー瞑想との比較と欠点

瞑想でもヨガでも禅でも何でもいい。
深い体感を伴わない瞑想は、取り組んだ労力に比べ、効果の乏しさを考えると恐怖でしかない。
瞑想を長くやっても一線を超越できないのに、これ以上先に進めるわけがない。
可能性はゼロではないが、限りなくゼロに近い。

 

何度も熱弁してきたように、体感のない瞑想は無駄だ。
浪費した時間からしたら、マイナスだからだ。

 

岩波英知先生は、体験のない瞑想は恐怖しかないと言っていた。
瞑想をやるからには体験してなんぼだ。
体験のない瞑想に何の意味があるのかと私も思う。
それがない瞑想ならば、多くの書籍を世界中からかき集めて、精神世界について研鑽を磨いていたほうが遥かにマシだと思う。

超越した瞑想状態を体験したことがない指導者が、瞑想を教えている矛盾もそうだし、例え瞑想で悟りに近づいた指導者であっても、その弟子に同じ超越した瞑想状態を誘導できない現実もある。

いくら高名な指導者であっても、瞑想セミナーや瞑想合宿を行っても、瞑想をする「場所」を提供することができない。
尊敬されているのは、指導者の教え、佇まいであって、決して参加者自らを深い瞑想に導いてくれる能力ではない。
数々の瞑想セミナー合宿で、どれだけ多くの人が内心幻滅しているだろうか。

 

自分の内面の心の傷、抑圧され鬱屈した感情、ネガティブな思考、孤独、愛情不足、人間関係のストレス、仕事の重圧、パワーや集中力の減少……
これらをなんとかしようと瞑想に時間とお金をかける。
しかし、瞑想だったらなんとかなると思うかもしれないが、そんな瞑想は甘くない。
そうは問屋が卸さない。

 

瞑想は心の内にネガティブ要素やマイナス思考が秘められている人にとって、逆効果になることすらある。
そうなったら、まだ何にも効果がなかったほうがマシだ。
瞑想は心の扉を一瞬開いた時、中途半端な瞑想の深さでは、ネガティブな精神状態という闇に飲まれてしまう。

 

つまり、瞑想ほど心を迷わせるものはない。
自分のできれば秘めておきたい、ないものとしておきたいトラウマや心の弱さを覗くこと──。
これを一人でやってしまうと抱えきれない抑圧に心を押しつぶされる危険性もある。


瞑想はうまくいかなくても時間の無駄、中途半端に瞑想に入ってしまうと、魔境を見る。
一人で安易に手を出すものではないのだ。

そしてめちゃくちゃに手強い奴がいる。
瞑想の最大の強敵となるものが、自分自身だ。
こいつがとにかく障害になる。
だから、心が落ち着くどころか、もどかしくなりそわそわし苛ついてしまう。
全てあるがまま受け入れろと言われても、そんな自分を受け入れられない。
なりたい自分を邪魔してくれる自分を受け入れるわけがない。
これも、瞑想が中途半端に甘くて浅いからだ。

瞑想をやったばっかりにコンディションがひどく悪化してしまうのは、開けたらいけない深淵のドロドロした扉を開かせ、見てはいけないものを見て、触れてはいけないものに触れてしまうからだ。
そこまですらたどり着かないのがほとんどにしても、一部の人は処理できないのに、足を踏み入れてしまう。
冬装備のない冬山登山、空気タンクのないダイビング、パラシュートのないスカイダイビング、着陸装置のない旅客機のようなものだ。

かといって、インド哲学や禅や瞑想や潜在意識の理論が卓越しても何の意味もない。
すべて強烈な実感がないから、いつまでも上達できない。
そして現在すごい感覚を味わえていない人間は、一生そこに到達できない現実がある。

いつか瞑想で願いが叶うといいなということはありえない!
岩波先生は「実感ゼロから一は生まれない」と言う。
人間がその人生を大きく変える時、強烈な実感がある。
奇跡的実感、神秘的実感、悟り的実感、雷に打たれたような実感、スーッと完全に心が定まる実感…
これがあるから、人生が大きく飛躍する。


仮に変性意識状態、瞑想状態が一にたどり着いても、日常の惰性に流され、十にも届かない。
ゼロはゼロ、一は一だ。
瞑想をやるからには結果を出すしかない、さもなくばやる義務はなにもない。

瞑想をやっている人に対して、非常に失礼ないことを書いているのをわかった上で、あえて書いている。
世の中のマインドフルネスとかヨガとか瞑想とかスピリチュアルの「ごっこ遊び」の情報に触れると、そんなものでいいのか!?と憤ることがある。
ライトにやるのもいいかもしれないが、心の内に潜っていく行為は下手をすると人生のコンディションをひどく落としてしまう。

 

特に瞑想をやるような人は、もともと感受性がある人が多い(その感受性を持ってしても、超越した瞑想状態にはほとんど入れないが)。
下手に手を出して大やけどを追わないように、瞑想は覚悟を決めてやるべきだと思う。
これほど主体的に取り組まなければならないものはないのだから。

 

 

 

偽物の瞑想に騙されるな 本物の最強の瞑想状態との比較と差!

f:id:brainsan:20180802093451p:plain

従来の瞑想法をやっていることは尊いけれど、もし本物だと思っている瞑想法が、偽物に過ぎなかったら?
これほどもったいない時間はないし、この先続けてもその瞑想法で得られる効果を高めていくことはできないだろう。

 

いや! 実際に瞑想法を行って効果を感じている!という人もたくさんいるだろう。
それは否定しない。
なぜならば、瞑想を行う行為自体に、その手法が本物でなかったとしても、一定の効果があるからだ。
しかし、それ以上には決して行かない。
いくら時間を積み重ねたとしても。

 

偽物の瞑想法であっても、瞑想的ななにかの効果を体験できるかもしれない。
しかし、所詮「なにか」でしかないのだ。
そこに積み重ねはない。
打率1割バッターのたまたまの内野安打にしか過ぎない。

 

従来の瞑想法で体験できる瞑想状態は、本当に浅い状態だ。
理性の働きが制限された時に得られる効果のようなものに過ぎない。
それだけ理性を使うことの疲弊の裏返しに過ぎない効果だ。
まあ、理性を一部をシャットアウトできただけでももうけものかもしれない。
しかし、従来の瞑想法では、空回りをしてしまうと理性を使って瞑想法から効果を引き出そうとするのが人間だ。
頭が重くなって理性に囚われてしまう人が多くいるのも事実だ。

 

それはやっている瞑想法が偽物の効果しかないからだ。
瞑想的ななにかの効果を得たかったら、アルコールで気分がいい良質な酔い方をすればいいし、人生を道に迷わせてもいいのならマリファナやコカイン、いや覚醒剤、ヘロインやLSDでもやればいい。

脳がいかれさせて変性意識状態に入りたければ、いくらでも簡単に方法がある。
しかし、それでは決して成長しない。
そればかりか現実逃避から、ますます薬物やアルコールに依存してしまうだろう。
そしてまともな脳へともとに戻ることはない。

 

ならば従来の瞑想法が遥かにいいに決まっている。
だが、それが偽物だ。
言い方が悪ければ、決して本物ではない。
脳が、変性意識がどんどん成長していかない瞑想法なのがその証拠だ。
(アルコールやドラッグはやればやるほど脳が退化、破壊されていくことはいうまでもない)

 

本物の瞑想状態に突入した時、脳は大きく成長する。
その成長のレベルが、次瞑想をやるときにはベースとなり、やればやるほど成長していく。
成長の実感がまざまざとわかる(瞑想の本質的なコツを掴めばとんでもない成長曲線を描くだろう)

 

従来の偽物的な瞑想法をやり続けて、脳が進化していったか? どんどん成長していってくれたのか? 瞑想状態の効果が劇的にどんどん深まっていくことがあっただろうか?
スタート地点に戻ったり、迷走状態に入ってしまっていないか?

 

それは従来の瞑想法が偽物だったことに尽きる。
あなたのやり方が悪かったわけでもない(ただしコツをつかむ必要はあるが)。
瞑想をやり勧めて、迷走状態に入るならば、瞑想法そのものが間違いだったということだ。
あれこれ自分のやり方が…と考えるとますます効果が遠のくか、逆にやればやるほど精神状態が整わなくなるだろう。

 

brainsan.hateblo.jp

  

brainsan.hateblo.jp

  

brainsan.hateblo.jp

  

brainsan.hateblo.jp

 

 brainsan.hateblo.jp

  

brainsan.hateblo.jp


 

iwanami-dal.com

 

walker2016.dreamlog.jp

 

 

世になる数多の瞑想法の弱点:ネガティブからの解放のはずが否定的感情や不安を引き出してしまう

f:id:brainsan:20180731094106j:plain

 

従来の瞑想法には効果効能もあるが、ネガティブで否定的な感情を引き出し、不安感や孤独感の塊を無意識から引き出してしまう弱点がある。
瞑想なんて意味がないという人が一定の数でいるのは、そういう瞑想の危険性を知っている人だ。

人は顕在意識で普段生きている。
無意識や潜在意識レベルで、ネガティブな感情、否定的な思考、不安や孤独感をダムのように蓄えて、なるべく顕在意識上に悪い感覚が登ってこないように頑張っている。
それが防衛本能の役割だ。

 

だから、人は深い瞑想状態に入ろうとすると、防衛本能がたちまち働き、「それ以上深く進んだら危ないぞ!」と警告を発してくれる。
それは筋肉が硬直させたり、急に不安感がひどくなったり、雑念に脳を支配させる。

 

 

すべての瞑想法に共通して謳われている効果効能とは、そもそも心を安らげる、つまり体的な障害から自分自身を解放させることにある。
囚われ執着して固定観念に縛られ、理性の奴隷となっている自分から己を解放させることである。

しかし従来の瞑想法では、ダムを決壊させ心をリセットするどころか、ネガティブな感情渦巻くダムに飛び込み、ダム湖の中でもがき苦しむことになりやすい。
瞑想の危険性はそこにある。

 

顕在意識に不都合なネガティブ感情を移植してしまうのだ。
不安でたまらなく、そわそわし落ち着かなくなり、孤独感に包まれる。
自律神経も逆に乱れ、動悸も激しくなり、頭が重くなったり、体が窮屈になる。
それはすべて防衛本能が過度に暴走してしまうからだ。

 

瞑想が逆に心と体を戦闘態勢に陥らせ、非常事態宣言が発動される。
そしてそれらを解除するだけの意識の深さは、従来の瞑想法にはない。

 

ネガティブな感情の抑圧された塊は、究極の瞑想状態の深い意識の世界に入り込まなければ崩壊してくれない。
浅い瞑想状態では、ネガティブな自分に直面してしまうだけだ。

 

瞑想は不安を消してくれるが、現実には不安を高めかねない現実がある。
心が浄化されるどころか、心のゴミを拾いかねない。
特に感受性の強い人や、自分に非常に抑圧がかかっていると自覚している人は、深い瞑想状態に入れない従来の瞑想法を安易にやることは考えものだ。

 

人間には防衛本能があるが、そもそも瞑想を続けても深い瞑想状態(超越した変性意識状態)に入れない人は、その防衛本能が無意識の底を覗かないように作動してくれたおかげでもある。
これ以上進んだら危険だという防衛本能と理性的な状況判断が、ネガティブ感情のダム決壊を防いでくれていた。
しかし、瞑想の効果そのものが感じることができない。

 

だから瞑想は非常に難しいと言える。
感受性があり瞑想が得意な人ほど、瞑想の危険性に直面しやすく、理性が強い人は瞑想の効果を感じるまでも行かない。
いずれも不幸だ。

 

一方Dream Artの岩波英知先生が誘導してくれる覚醒瞑想(脳覚醒状態)は、最初から3つも4つも次元が別格の瞑想状態に一瞬で入れる。
どんな理性的な人でも防衛本能が強い人でも、もちろん感受性の強い人でも。

その深さはネガティブな感情が浄化されるほど深く良質な状態だから、これほど理想的な瞑想状態はないだろう。
瞑想の壁に直面している人には是非オススメしたい。

 

別にネガティブな感情が少ない人でも、究極の至福意識や恍惚感が味わえるだろう。
究極の直感状態で、脳のキャパシティも受けるごとにあがるだろう。
嘘だと思ったら受けてみたらいい。
言っていることがこういうことなのかと思うに至るだろう。

 

 

 

 

 

 

 

www.mind-artist.com

 

最強の瞑想状態に入れば無敵! が瞑想をいくらやっても無意識の中に入ることが無理な理由

f:id:brainsan:20180730133512j:plain

瞑想とは『無』になること。
無意識の中へ深く長く入り込むこと。
無意識には様々な情報が渦巻いている。
そこにすべての問題解決のヒント、そしてインスピレーションの源泉がたくさん潜んでいる。

 

しかし、無意識の世界には努力では入れない。
瞑想をする努力が無意識の扉を逆に閉ざしてしまう。
いくら考えても知恵を使っても、けっして無意識に入れず、顕在意識だけが膨らんでいく。

 

顕在意識には人間の可能性も神秘性もなにもない。
あるのは使い古された知識と情報だけだ。
誰もが持っているものしかない。
そこでいくら頑張っても、人と差がつくことはない。

 

瞑想状態に入れば顕在意識を封じ込め、圧倒的な割合を占める無意識の扉を開き、その中に入り込める。
とはいえ、それは幻想だ。
瞑想状態だけじゃあまりに浅い。
最強の瞑想状態に入らない限りありえない。

 

だが、最強の瞑想状態には努力や知恵じゃ無理だ。
それはなぜか?
努力すれば報われないなんて、じゃあどうすればいいのか?

 

無意識状態がむき出しになるためには、意識を捨て去らなければならない。
つまり無になるしかない。
だが、人はどうしても無意識状態になるために、考えてしまう、見ようとしてしまう、アクションを起こそうとしてしまう。
理性を使って入り込もうとする以外の術を知らないからだ。

 

完全な無意識状態(最強の瞑想状態)に入るためには、理性を捨てるしかない。
無意識に入ろうとすることは、理性からしたらあまりに不合理で非論理的で非科学的だ。
理性は無意識の働きを妨げようとするから、当然の防衛反応だ

 

無理に入ろうとしても考えても決して入り込めない。
理性を捨てられない人間に無意識が扉を開いてくれることはない。

 

よし、理性を捨てた、これからは考えないで瞑想をする!
そう決意したところで、それもまた理性を使ってしまっている。
この矛盾にほとんどの人が瞑想することを諦めたり、惰性化していく。
ダラダラダラダラ万が一の可能性にかけて瞑想を続け、そのうちやらなくなる。

瞑想はだからこそ、一人ではやっていけない!
導くものがいなければ、一生理性を使い、顕在意識の浅い表面的な努力で、未来のないエネルギーを使い果たしていく。
瞑想は一人でもできるだけに、独力でやろうとしてしまうが、それが大きな間違いだ。

 

無意識に入るために意識を使ってしまうのが独力の限界だ。
これでは一生最強の瞑想状態に入るなんて不可能なことがわかるだろう。
人生は限られた時間である。
きっぱり瞑想を捨て去ってもっと有意義なことに時間を割くか、実力と能力に満ち溢れた瞑想の指導者に誘導してもらうか、中途半端だけは良くない。

 

 

brainsan.hateblo.jp

 

 

brainsan.hateblo.jp

 

 

brainsan.hateblo.jp

 

 

brainsan.hateblo.jp

 

 

brainsan.hateblo.jp

 

 

理性の限界を知り、瞑想で本能の解放をすれば潜在意識から覚醒できる

理性と本能はお互いに打ち消し合う関係にある。
理性が強すぎる人間は、人生を楽しめない。
本能が強い人間は動物的でパワーがあるが、過度に行き過ぎるとただの獣になる。

f:id:brainsan:20180611175716j:plain

人間は社会生活を送らなければならないが、どちらかと言うと理性が強くなったほうが、社会はうまくいきやすい。
ただしそれは表面上の話であって、生きる喜びを制限することにもつながるため、その匙加減が本当に難しいと思う。
社会生活には本能を制限したほうが為政者にとっては都合がいいのかもしれないが、私達個人の生活にとってはどうか?

 

理性でガチガチの生活を続けた人間は、パワーが無くなり、生命エネルギーが先細っていくことは事実だ。
そればかりか、脳が画一的な場面でしか発揮できなくなり(いわば歯車としての脳みそになる)、私生活においても感動が減っていく。
これはとても不幸だ。

 

人間が生まれてきた意味は、社会生活を送るためだけではなく、感動するためだ。
その感動は理性を制限したときに花開くことは事実。
そして社会生活と折り合いをつけながら、感動しようと行動をする。
しかし、あまりにストレスだらけで疲れてしまうと、いつの間にか大事な本能まで制限してしまい、肝心の理性の面でもコンピュータが狂っていく。

 

それは本能から得られる栄養分がなくなり、本能の上に乗っかっている理性の働きまで鈍くしてしまうからだ。
だいたいエネルギッシュで行動してたくさん感動している人間ほど、脳みその使い方が上手い。
理性を使い果たして、何にも生み出せない脳みそを持った人間は、単純作業だけをやるならまだしも、生産性のあることができなくなっていく。

 

生きづらさも理性を使いすぎるからだ。
だからこそ、そういう生き方に疑問を持った人は、瞑想や座禅やヨーガをやる。
理性では説明できないようなスピリチュアル、精神世界に生き方のヒントを求める。
それはすなわち、本能の解放をしようとしている。

 

ずっと理性で抑え込んできた本能を解放して、本来の人間らしい生き方を取り戻そうとしている。
そして本能を解放した時の感動を求めている。
潜在意識を覚醒したときの喜びの実感を無意識で欲しているのだと思う。

 

本能で生きている人は疲れない。
動くほどエネルギーが湧いて出てくる。
理性の人は努力すればするほどすり減っていく。ストレスが溜まっていく。
そのはけ口もない。

本能を解放したときにだけ、ストレスが消えて出ていってくれる。
だからこそ、瞑想が必要だ。
瞑想は決して理性を使ったらうまくいかない。
理性がいかに無駄で、邪魔なものかがはっきりわかる。

瞑想の本当の効果をさらにあるが、少なくとも理性に頼りすぎる自分に気付けただけでも大きな価値はあるんだと思う。
瞑想状態、それも超瞑想状態に入ることさえできたら、心がリセットされる。
潜在意識の働きが覚醒し、脳みそも異常に活性化する。
本能が解放されていく原始的な感動にも浸れる。
これが一番自分に必要なものだったのだと気づくに違いない。

 

まずは理性の限界を知ることだ。
意外に人は自分が理性に縛られていることに気づいていない。
しかし、瞑想に取り組むと、うまくいかない自分に直面するだろう。
そのとき理性でものごとを追求する刷り込みがされていることに気付かされる。

 

そして、そんな自分では大きな発想ができないこともわかる。
そうなるといくら理性を鍛えても限界があり、本能が本当に覚醒したときにこそ、大きく人生が変わることに気づいていく。

 

瞑想そのものの効果をまずは感じなくても、その流れを知ることだけでも、瞑想(座禅でもヨーガでもマインドフルネスでもよい)に取り組んだ甲斐があったに違いない。

 

 

brainsan.hateblo.jp

 

 

brainsan.hateblo.jp

 

 

brainsan.hateblo.jp

 

 

brainsan.hateblo.jp

 

生産性のない瞑想は瞑想ではない 抑圧とストレスですり減る心を劇的回復させる瞑想の効果 

私たちは社会の一員であり、社会的動物だ。
この社会というものがとても厄介で、ともすれば非常に抑圧的で私たちの心を抑えつけてくる。
そして社会全体が非常に利益を追求する、行き過ぎとも言える資本主義、拝金主義になっている。

 

当然社会の一員である我々は、利益を追求しないといけないし、そのために個々人のマインドを無視して、成果を出すように追い立てられる。
みなストレスを感じながら生きざるを得ず、それでも頑張って働くことが生きることだと思い込まされている。
いつしかマインドが大事にされなくなって、骨の髄まで実利的な思考に支配されている。

 

そこに疑問を持った人が瞑想に興味を持つ。
実利的過ぎる社会で消耗した自分を取り戻すために。
今後、ますます瞑想は社会をギスギスしたものにしないためにも必要とされるものだと思う。

 

しかし、あくまで社会の一員である私たちは、社会的に生産性のある人間であることも大事だ。
社会的な廃人になってまで瞑想に没頭し続けるのはどうかと思うし、そもそもどうやってそれで食べていくんだ?という疑問が生まれる。
つまり、理想的な瞑想とは、社会で能力を存分に発揮できるために利用するものであらねばならないと思う。

 

よく瞑想やマインドフルネスをやって、心が満たされてしまって、生きる意欲が減退したという危険性を言われることがある。
だが、それはその人が瞑想を逃避に使っただけのことだと思う。
瞑想に逃げ込まなくても、そういう人はいい向精神薬があればそれに依存するかも知れないし、麻薬の類に手を染めるかも知れない。
アルコール中毒になる人だって逃避の最たるものだ。

 

しかし、本当の瞑想で得られる効果は、モチベーションは上がるし、脳は覚醒していくし、ストレスも吹っ飛ぶから、次に進むエネルギーがどんどん湧いて出てくる。
自分を抑圧してきたものから吹っ切れるから、脳も心もとにかく自由になる。
自分のやることがうまくいくようになるし、その風も感じられる。
運もとても良くなる(オカルト的な意味ではなく運を掴める脳に切り替わる)し、瞑想ほど社会的に生産性を高めてくれるものはない。

 

いくら会社が利益を出すように強制してきても、当の本人がストレスで潰れていたのでは何の意味もない。
それを強いる会社は社員を使い捨てとしか見ていない。
ブラック企業の例だけじゃなく、悪徳芸能事務所が、タレントを使い捨てにしているような例はたくさんある。

 

だから、私たちは自分で自衛のための武器を身に着けなくてはいけない。
そのために一番手っ取り早いのが瞑想だし、瞑想を極めるまで行かなくても、途中経過で大きな効果を感じられるのだから、もっともっと瞑想が広まって欲しい。

どうせやるなら短期間で圧倒的な効果を感じられる覚醒瞑想(誘導式の瞑想)が一発だ。
たった一回か二回で、効果をなかなか感じられない瞑想法の効果を上回ってしまうのだから。

 

瞑想を逃避で使うのではなく、成長のために、人生を変えるために、そして生産性のある人間になるために使って下さい。
人間の脳の持つ爆発的な可能性に多くの人に気づいてほしいです。