最強の瞑想法はこの日本にあり! 意味のない瞑想からの脳の覚醒へ

脳覚醒瞑想 超変性瞑想 瞬間瞑想 瞑想トランス 様々な名称を持つ岩波英知先生の瞑想法の紹介。日本で唯一の誘導瞑想法の特殊な体験記を書いているブログ。世界最強の瞑想を体験したいと考えている人は必見。

瞑想から劇的な効果をあげることは難しそうだが、実は拍子抜けするくらい簡単である

f:id:brainsan:20180910001000j:plain

瞑想は自分で入ろうとすると実に難しい。
イライラするほど難しい。
調子が良い時はいいが、毎日は続かない。
毎日続かないとイライラしてくる、焦ってくるから、悪い流れに入りやすい。

 

あれこれ考えだすと、雑念が頭を支配し、ますます瞑想を難しくさせる。
「人間は考える葦である」だから、どうしても考えてしまう。
考えないように決意しても、考えないことを考えるというジレンマに陥る。

 

ジレンマに陥ったら、頭が重くなる。
もやもやした気持ちで瞑想をやろうとしても、頭がクリアになるどころか、無理やりクリアになりたい気持ちが、更に頭を重くする。

こう考えると瞑想は実に難しい、そして実に面白い。
だから、瞑想を難しくして断念してほしくない。
瞑想は本当にすごい可能性と価値観を持っていることは確かだ。
ただし瞑想状態に深く入らなければ何の意味もないのだ。

 

瞑想にはそういう意味では価値はない。
ということは、本を読んで瞑想がわかった気になっても、何の意味もないということだ。
それは変性意識状態に入れない瞑想は無価値だということ。

では、瞑想状態に深く入るためにはどうしたらいいのか?
こんな難しい瞑想で、効果を実感できる瞑想状態に入れるのか?

 

瞑想は自分と瞑想そのものを信じられなくなったらおしまいだ。
自分を信頼してすべてを委ねられるからこそ、瞑想状態に深く入っていく。
瞑想の可能性を信じきれるからこそ、身も心も瞑想に捧げられる。

 

だが、瞑想を難しいと思い込み、瞑想状態に入れるかどうかわからない自分を信頼することなど不可能だ。
そんな状態じゃ何をやっても効果を上げることはできないだろう。

ここで強く主張したい!
瞑想は拍子抜けするぐらい簡単だ。
瞑想状態に入ることなど朝飯前なのだ。

なぜか?
もとより瞑想を自力でやるものだという固定観念が間違っている。
瞑想は瞑想状態に入ることが目的だ。
それ以上でもそれ以下でもない。
つまり、瞑想状態に人に入れてもらえれば、もはや目的は達成したも同然だ。

 

瞑想状態に深く誘導できるプロに任せれば、簡単に瞑想状態を味わえる。
瞑想状態を味わえたら、今度はその感覚を思い出すだけでいい。
どうやって思い出すか?
それは呼吸法でも、マントラを唱えることでも、イメージングでも、阿字観でもいい。
瞑想状態を体感した脳は、必ず思い出してくれる。
あとは自分を信頼するだけだ。

 

瞑想状態を体感した脳は、すぐ再生してくれるだろう。
そこに努力も焦りも必要ない。
ただ待てばいい。
力を抜いて、感じるだけで、深い瞑想状態に自動的に入れるようになる。

 

そのコツを掴んだ時、瞑想は簡単だと思うだろう。
そう思えた時、自分を信頼し、瞑想の可能性を誰よりも信じられている。
だから、いつでも瞑想の効果を引っ張り出すことができるのだ。

 

 

 

 

 

 

brainsan.hateblo.jp

 

最強の瞑想状態(トランス状態)に入る方法とコツ

f:id:brainsan:20180826223306j:plain

 

瞑想状態に入るために、何が必要なのか?
究極の集中状態?
無念無想?
泰然自若?
すべてをあるがまま受け入れること?

 

この答えは、すべて理性を捨てることにあると思う
瞑想をしている人のイメージは、目を閉じて座禅をしている姿が思い浮かぶが、ああいうジッとしているだけが、本当の瞑想ではない
それが静ならば、動的な瞑想もある

 

岩波先生と瞑想談義をしたことがあるが、ダンス、踊りでもトランス状態に入れるという
岩波先生は、ジャワかバリ島の奥地で原住民が踊り狂って、トランス状態に入った異様な光景を見たことがあるらしい。
そんな話をしてくれたのを覚えている。

 

若い女性が、観光客向けじゃない本場のケチャダンスをして、踊り狂った挙げ句にトランス状態に入り、生きた鶏の首を噛みちぎった姿を見たそうだ。
もしかしたら幻覚成分を事前に女性は飲んでいたのかもしれないが(原始的な祭りではよくある)、踊りだけでも人はトランス状態に入り、神がかりの状態になれるのだとわかった。
巨大なキャンプファイヤーがあったそうだから、火の圧倒的な威力もトランス状態を深めたのかもしれない。

 

いずれにしても、バリ島の現地人は、トランス状態に入るには、いかに理性を制限させるかを経験値として知っていたに違いない。
アマゾンの奥地でも幻覚作用のある飲み物を飲んで、シャーマンが神と交信するというし、何がトランスに必要かわかっている。
理性を幻覚作用でなくしてしまうのだ。
しかし、それだけではただのジャンキーになってしまう。

 

バリ島の例では、踊り狂うということがキーポイントだろう。
非日常的な祭りという状況も手伝って、理性がただでさえ少なくなっている上に、踊り狂うのならば、感受性の強い女性ほどトランス状態に入ってしまうだろう。
祭り参加者がみんな集団トランスに入っていたのかもしれないし、まさに理想的なトランス状態(=瞑想状態)だろう。

 

踊る、ダンスをすることは理性があっては決してできない。
つまり、瞑想状態になれるダンスがあってもいいわけだ。
静かな瞑想が苦手で雑念に邪魔をされる人は、踊り狂って瞑想をするのもいいかもしれない。

 

岩波先生から教わったことに、動きを徹底的にやって、一気に静止状態になることもとても有効らしい。
それは踊り狂わなくても、一定のリズムで動いていて(例えば上半身をその場を動かずにゆらゆらさせるだけ)、それを何時間か続けた後に、動きを止めて大の字になると、一気にトランス状態にはいっていくそうだ。
動きからの静止はとても有効的だから、瞑想がうまくいっていない人は取り入れてもいいかもしれない。

 

動くことは理性をなくす。
瞑想を単一的に座禅をする、マントラを唱える、チャクラを開くなど静的な方法に頼らず、もっと瞑想の概念を破壊した上で、瞑想に取り組んだほうがいいのかもしれない。

 

瞑想とは瞑想状態に入ることが重要であり、瞑想状態に入れば手段はどうでもいいのだから。

 

 

 

 

 

瞑想で不安は消えるのか? 瞑想中に不安になることがあったらどう対処するべきか

f:id:brainsan:20180818103806p:plain

瞑想は不安を消してくれる。
心がやすらぎ、心の心配事や重荷がす~と消えていってくれる。
瞑想が効果を発揮する時、ネガティブな感情が収縮していき、一度まっさらな精神状態になり、そこからポジティブシンキングが生まれてくる。
様々な気づきが見出されていく。

 

しかし、瞑想状態が不安を消してくれることは事実だとしても、不安が消えてくれる瞑想状態に入るまでの間に、逆に不安になることがある。
我々の心のは常に防衛されている。
瞑想をやる人にとって、自分のメンタルブロックの手強さを身にしみていることだろうが、メンタルブロックがあるからこそ、日常ではぎりぎりネガティブな感情が発生せずに、心の隅に抑圧して生きていられる。

 

過去の私のように常日頃から、何かあると不安の感情に苦しめられるようになったら、本当に生きづらいから、メンタルブロックが頑張ってくれている。
そのメンタルブロックが瞑想中にふとした瞬間に外れることがある。
そうすると、不安や悲しみや怒りなどのネガティブ感情を抑圧してきた人でも、急に不安になり、そわそわして落ち着かなくなったり、悲しい過去に直面して精神的に落ち込んでしまう。

 

しかし、メンタルブロックを外れることはとても大事だ。
問題は自分の抱えている不安などのネガティブ感情を解消できる深い瞑想状態にまで自分を追い込めるかが大事になる。
一度、メンタルブロックが外れたのならば、それ自体は歓迎すべきことだから、行き着く先までやってしまったほうがいい。
それに瞑想にとても向いていると言えるのだから。

 

瞑想中に不安になることがあったら、どうしようとうろたえるのではなく、ましてパニックに自分でするのではなく、優しく受け入れてしまうことだ。
その不安の感情は、紛れもなく自分だ。
自分の分身だ。
ずっと抑圧して生きてきた。
あなたを不安の感情で必要以上に苦しめないためにも。

 

そしてあなたの人生そのものだ。
不安の感情だけじゃない。怒りや悲しみも。
もしかしたら、感情の渦の中に『喜び』『愛情』『幸福感』もあるのかもしれない。
今はネガティブな感情に覆い隠されていて、見出すことができないが、必ずあるはずだ。

 

とにかくネガティブな感情群を優しく抱きしめ受け入れてあげよう。
けっして突き放してもいけない。
同時に冷静に客観的に見ることも必要だ。
同化するのではなく、客観的に見ながら受け入れてやる。
受け入れるということが難しいならば、受け流す感じが良い。
ああ、これが自分の人生なのか、それが自分自身なのならしょうがない。
そこで反発したり、抜け出そうともがくと、焦り、怒り、極度の不安状態になるだけだ。

 

私も岩波英知先生の誘導によって、脳覚醒状態(覚醒瞑想状態)に入った時、メンタルブロックが一瞬で外れ、ものすごい感情の津波に心が襲われたことが何度かある。
言葉に絶する体感だったが、感情の津波の中に、様々な悪い感情、ずっと抑え込んできた感情、過去感じてきた感情、それは悪い感情だけじゃなく、愛情や喜びも入っていた。

メンタルブロックが外れている自分(と岩波先生の技術のすごさ)に感激しながらも、初めて直面する感情の津波にどう対処していいかわからなかった。
しかし、不思議と脱力感が体にあり、精神状態もやわらかい感覚があったため、冷静に受け流しながら、自分のネガティブな感情と向き合うことができていた。

 

それは脳覚醒状態という最強の瞑想状態に入れていたからであって、中途半端で一人でメンタルブロックが外れていたのならば、私はどう対処しようもなかったと思う。
一人でうろたえて、不安を消すための瞑想で不安が増す結果になったことを受け入れられずに、反発していたのではないか。
その結果、先に書いたようにさらにネガティブな感情に苦しめられていたに違いない

 

瞑想状態が極度に深まると、悪い感情が浄化していくことは間違いない。
その奥に隠れている、いい感情(喜び、幸せ、愛)を見出すことができたら、はじめて瞑想はとんでもない効果を生んでくれる。
これは私の体験談からも間違いないことだ。

 

瞑想をやって不安になる人がいるが、それは瞑想の特性上しょうがないことだ。
まずは瞑想状態の入り口に入れたことを喜ぶべき。
そして、不安の対処法をきちんとすることで、次のステップに進むことができる。

 

ただし非常に抑圧された人生を生きてきて、かつ感性が鋭い人は、一人ではやらないことをおすすめする。
ネガティブな感情の津波に飲み込まれた時に、冷静に強く対処できる指導者の力が絶対に必要だ。

 

 

 


 

 

 

 

体感、実感、体験のない瞑想に人生を変える力はゼロ いつまで無駄な瞑想を続ける!?

最強の瞑想法と超越瞑想やヴィパッサナー瞑想との比較と欠点

瞑想でもヨガでも禅でも何でもいい。
深い体感を伴わない瞑想は、取り組んだ労力に比べ、効果の乏しさを考えると恐怖でしかない。
瞑想を長くやっても一線を超越できないのに、これ以上先に進めるわけがない。
可能性はゼロではないが、限りなくゼロに近い。

 

何度も熱弁してきたように、体感のない瞑想は無駄だ。
浪費した時間からしたら、マイナスだからだ。

 

岩波英知先生は、体験のない瞑想は恐怖しかないと言っていた。
瞑想をやるからには体験してなんぼだ。
体験のない瞑想に何の意味があるのかと私も思う。
それがない瞑想ならば、多くの書籍を世界中からかき集めて、精神世界について研鑽を磨いていたほうが遥かにマシだと思う。

超越した瞑想状態を体験したことがない指導者が、瞑想を教えている矛盾もそうだし、例え瞑想で悟りに近づいた指導者であっても、その弟子に同じ超越した瞑想状態を誘導できない現実もある。

いくら高名な指導者であっても、瞑想セミナーや瞑想合宿を行っても、瞑想をする「場所」を提供することができない。
尊敬されているのは、指導者の教え、佇まいであって、決して参加者自らを深い瞑想に導いてくれる能力ではない。
数々の瞑想セミナー合宿で、どれだけ多くの人が内心幻滅しているだろうか。

 

自分の内面の心の傷、抑圧され鬱屈した感情、ネガティブな思考、孤独、愛情不足、人間関係のストレス、仕事の重圧、パワーや集中力の減少……
これらをなんとかしようと瞑想に時間とお金をかける。
しかし、瞑想だったらなんとかなると思うかもしれないが、そんな瞑想は甘くない。
そうは問屋が卸さない。

 

瞑想は心の内にネガティブ要素やマイナス思考が秘められている人にとって、逆効果になることすらある。
そうなったら、まだ何にも効果がなかったほうがマシだ。
瞑想は心の扉を一瞬開いた時、中途半端な瞑想の深さでは、ネガティブな精神状態という闇に飲まれてしまう。

 

つまり、瞑想ほど心を迷わせるものはない。
自分のできれば秘めておきたい、ないものとしておきたいトラウマや心の弱さを覗くこと──。
これを一人でやってしまうと抱えきれない抑圧に心を押しつぶされる危険性もある。


瞑想はうまくいかなくても時間の無駄、中途半端に瞑想に入ってしまうと、魔境を見る。
一人で安易に手を出すものではないのだ。

そしてめちゃくちゃに手強い奴がいる。
瞑想の最大の強敵となるものが、自分自身だ。
こいつがとにかく障害になる。
だから、心が落ち着くどころか、もどかしくなりそわそわし苛ついてしまう。
全てあるがまま受け入れろと言われても、そんな自分を受け入れられない。
なりたい自分を邪魔してくれる自分を受け入れるわけがない。
これも、瞑想が中途半端に甘くて浅いからだ。

瞑想をやったばっかりにコンディションがひどく悪化してしまうのは、開けたらいけない深淵のドロドロした扉を開かせ、見てはいけないものを見て、触れてはいけないものに触れてしまうからだ。
そこまですらたどり着かないのがほとんどにしても、一部の人は処理できないのに、足を踏み入れてしまう。
冬装備のない冬山登山、空気タンクのないダイビング、パラシュートのないスカイダイビング、着陸装置のない旅客機のようなものだ。

かといって、インド哲学や禅や瞑想や潜在意識の理論が卓越しても何の意味もない。
すべて強烈な実感がないから、いつまでも上達できない。
そして現在すごい感覚を味わえていない人間は、一生そこに到達できない現実がある。

いつか瞑想で願いが叶うといいなということはありえない!
岩波先生は「実感ゼロから一は生まれない」と言う。
人間がその人生を大きく変える時、強烈な実感がある。
奇跡的実感、神秘的実感、悟り的実感、雷に打たれたような実感、スーッと完全に心が定まる実感…
これがあるから、人生が大きく飛躍する。


仮に変性意識状態、瞑想状態が一にたどり着いても、日常の惰性に流され、十にも届かない。
ゼロはゼロ、一は一だ。
瞑想をやるからには結果を出すしかない、さもなくばやる義務はなにもない。

瞑想をやっている人に対して、非常に失礼ないことを書いているのをわかった上で、あえて書いている。
世の中のマインドフルネスとかヨガとか瞑想とかスピリチュアルの「ごっこ遊び」の情報に触れると、そんなものでいいのか!?と憤ることがある。
ライトにやるのもいいかもしれないが、心の内に潜っていく行為は下手をすると人生のコンディションをひどく落としてしまう。

 

特に瞑想をやるような人は、もともと感受性がある人が多い(その感受性を持ってしても、超越した瞑想状態にはほとんど入れないが)。
下手に手を出して大やけどを追わないように、瞑想は覚悟を決めてやるべきだと思う。
これほど主体的に取り組まなければならないものはないのだから。

 

 

 

偽物の瞑想に騙されるな 本物の最強の瞑想状態との比較と差!

f:id:brainsan:20180802093451p:plain

従来の瞑想法をやっていることは尊いけれど、もし本物だと思っている瞑想法が、偽物に過ぎなかったら?
これほどもったいない時間はないし、この先続けてもその瞑想法で得られる効果を高めていくことはできないだろう。

 

いや! 実際に瞑想法を行って効果を感じている!という人もたくさんいるだろう。
それは否定しない。
なぜならば、瞑想を行う行為自体に、その手法が本物でなかったとしても、一定の効果があるからだ。
しかし、それ以上には決して行かない。
いくら時間を積み重ねたとしても。

 

偽物の瞑想法であっても、瞑想的ななにかの効果を体験できるかもしれない。
しかし、所詮「なにか」でしかないのだ。
そこに積み重ねはない。
打率1割バッターのたまたまの内野安打にしか過ぎない。

 

従来の瞑想法で体験できる瞑想状態は、本当に浅い状態だ。
理性の働きが制限された時に得られる効果のようなものに過ぎない。
それだけ理性を使うことの疲弊の裏返しに過ぎない効果だ。
まあ、理性を一部をシャットアウトできただけでももうけものかもしれない。
しかし、従来の瞑想法では、空回りをしてしまうと理性を使って瞑想法から効果を引き出そうとするのが人間だ。
頭が重くなって理性に囚われてしまう人が多くいるのも事実だ。

 

それはやっている瞑想法が偽物の効果しかないからだ。
瞑想的ななにかの効果を得たかったら、アルコールで気分がいい良質な酔い方をすればいいし、人生を道に迷わせてもいいのならマリファナやコカイン、いや覚醒剤、ヘロインやLSDでもやればいい。

脳がいかれさせて変性意識状態に入りたければ、いくらでも簡単に方法がある。
しかし、それでは決して成長しない。
そればかりか現実逃避から、ますます薬物やアルコールに依存してしまうだろう。
そしてまともな脳へともとに戻ることはない。

 

ならば従来の瞑想法が遥かにいいに決まっている。
だが、それが偽物だ。
言い方が悪ければ、決して本物ではない。
脳が、変性意識がどんどん成長していかない瞑想法なのがその証拠だ。
(アルコールやドラッグはやればやるほど脳が退化、破壊されていくことはいうまでもない)

 

本物の瞑想状態に突入した時、脳は大きく成長する。
その成長のレベルが、次瞑想をやるときにはベースとなり、やればやるほど成長していく。
成長の実感がまざまざとわかる(瞑想の本質的なコツを掴めばとんでもない成長曲線を描くだろう)

 

従来の偽物的な瞑想法をやり続けて、脳が進化していったか? どんどん成長していってくれたのか? 瞑想状態の効果が劇的にどんどん深まっていくことがあっただろうか?
スタート地点に戻ったり、迷走状態に入ってしまっていないか?

 

それは従来の瞑想法が偽物だったことに尽きる。
あなたのやり方が悪かったわけでもない(ただしコツをつかむ必要はあるが)。
瞑想をやり勧めて、迷走状態に入るならば、瞑想法そのものが間違いだったということだ。
あれこれ自分のやり方が…と考えるとますます効果が遠のくか、逆にやればやるほど精神状態が整わなくなるだろう。

 

brainsan.hateblo.jp

  

brainsan.hateblo.jp

  

brainsan.hateblo.jp

  

brainsan.hateblo.jp

 

 brainsan.hateblo.jp

  

brainsan.hateblo.jp


 

iwanami-dal.com

 

walker2016.dreamlog.jp

 

 

世になる数多の瞑想法の弱点:ネガティブからの解放のはずが否定的感情や不安を引き出してしまう

f:id:brainsan:20180731094106j:plain

 

従来の瞑想法には効果効能もあるが、ネガティブで否定的な感情を引き出し、不安感や孤独感の塊を無意識から引き出してしまう弱点がある。
瞑想なんて意味がないという人が一定の数でいるのは、そういう瞑想の危険性を知っている人だ。

人は顕在意識で普段生きている。
無意識や潜在意識レベルで、ネガティブな感情、否定的な思考、不安や孤独感をダムのように蓄えて、なるべく顕在意識上に悪い感覚が登ってこないように頑張っている。
それが防衛本能の役割だ。

 

だから、人は深い瞑想状態に入ろうとすると、防衛本能がたちまち働き、「それ以上深く進んだら危ないぞ!」と警告を発してくれる。
それは筋肉が硬直させたり、急に不安感がひどくなったり、雑念に脳を支配させる。

 

 

すべての瞑想法に共通して謳われている効果効能とは、そもそも心を安らげる、つまり体的な障害から自分自身を解放させることにある。
囚われ執着して固定観念に縛られ、理性の奴隷となっている自分から己を解放させることである。

しかし従来の瞑想法では、ダムを決壊させ心をリセットするどころか、ネガティブな感情渦巻くダムに飛び込み、ダム湖の中でもがき苦しむことになりやすい。
瞑想の危険性はそこにある。

 

顕在意識に不都合なネガティブ感情を移植してしまうのだ。
不安でたまらなく、そわそわし落ち着かなくなり、孤独感に包まれる。
自律神経も逆に乱れ、動悸も激しくなり、頭が重くなったり、体が窮屈になる。
それはすべて防衛本能が過度に暴走してしまうからだ。

 

瞑想が逆に心と体を戦闘態勢に陥らせ、非常事態宣言が発動される。
そしてそれらを解除するだけの意識の深さは、従来の瞑想法にはない。

 

ネガティブな感情の抑圧された塊は、究極の瞑想状態の深い意識の世界に入り込まなければ崩壊してくれない。
浅い瞑想状態では、ネガティブな自分に直面してしまうだけだ。

 

瞑想は不安を消してくれるが、現実には不安を高めかねない現実がある。
心が浄化されるどころか、心のゴミを拾いかねない。
特に感受性の強い人や、自分に非常に抑圧がかかっていると自覚している人は、深い瞑想状態に入れない従来の瞑想法を安易にやることは考えものだ。

 

人間には防衛本能があるが、そもそも瞑想を続けても深い瞑想状態(超越した変性意識状態)に入れない人は、その防衛本能が無意識の底を覗かないように作動してくれたおかげでもある。
これ以上進んだら危険だという防衛本能と理性的な状況判断が、ネガティブ感情のダム決壊を防いでくれていた。
しかし、瞑想の効果そのものが感じることができない。

 

だから瞑想は非常に難しいと言える。
感受性があり瞑想が得意な人ほど、瞑想の危険性に直面しやすく、理性が強い人は瞑想の効果を感じるまでも行かない。
いずれも不幸だ。

 

一方Dream Artの岩波英知先生が誘導してくれる覚醒瞑想(脳覚醒状態)は、最初から3つも4つも次元が別格の瞑想状態に一瞬で入れる。
どんな理性的な人でも防衛本能が強い人でも、もちろん感受性の強い人でも。

その深さはネガティブな感情が浄化されるほど深く良質な状態だから、これほど理想的な瞑想状態はないだろう。
瞑想の壁に直面している人には是非オススメしたい。

 

別にネガティブな感情が少ない人でも、究極の至福意識や恍惚感が味わえるだろう。
究極の直感状態で、脳のキャパシティも受けるごとにあがるだろう。
嘘だと思ったら受けてみたらいい。
言っていることがこういうことなのかと思うに至るだろう。

 

 

 

 

 

 

 

www.mind-artist.com

 

最強の瞑想状態に入れば無敵! が瞑想をいくらやっても無意識の中に入ることが無理な理由

f:id:brainsan:20180730133512j:plain

瞑想とは『無』になること。
無意識の中へ深く長く入り込むこと。
無意識には様々な情報が渦巻いている。
そこにすべての問題解決のヒント、そしてインスピレーションの源泉がたくさん潜んでいる。

 

しかし、無意識の世界には努力では入れない。
瞑想をする努力が無意識の扉を逆に閉ざしてしまう。
いくら考えても知恵を使っても、けっして無意識に入れず、顕在意識だけが膨らんでいく。

 

顕在意識には人間の可能性も神秘性もなにもない。
あるのは使い古された知識と情報だけだ。
誰もが持っているものしかない。
そこでいくら頑張っても、人と差がつくことはない。

 

瞑想状態に入れば顕在意識を封じ込め、圧倒的な割合を占める無意識の扉を開き、その中に入り込める。
とはいえ、それは幻想だ。
瞑想状態だけじゃあまりに浅い。
最強の瞑想状態に入らない限りありえない。

 

だが、最強の瞑想状態には努力や知恵じゃ無理だ。
それはなぜか?
努力すれば報われないなんて、じゃあどうすればいいのか?

 

無意識状態がむき出しになるためには、意識を捨て去らなければならない。
つまり無になるしかない。
だが、人はどうしても無意識状態になるために、考えてしまう、見ようとしてしまう、アクションを起こそうとしてしまう。
理性を使って入り込もうとする以外の術を知らないからだ。

 

完全な無意識状態(最強の瞑想状態)に入るためには、理性を捨てるしかない。
無意識に入ろうとすることは、理性からしたらあまりに不合理で非論理的で非科学的だ。
理性は無意識の働きを妨げようとするから、当然の防衛反応だ

 

無理に入ろうとしても考えても決して入り込めない。
理性を捨てられない人間に無意識が扉を開いてくれることはない。

 

よし、理性を捨てた、これからは考えないで瞑想をする!
そう決意したところで、それもまた理性を使ってしまっている。
この矛盾にほとんどの人が瞑想することを諦めたり、惰性化していく。
ダラダラダラダラ万が一の可能性にかけて瞑想を続け、そのうちやらなくなる。

瞑想はだからこそ、一人ではやっていけない!
導くものがいなければ、一生理性を使い、顕在意識の浅い表面的な努力で、未来のないエネルギーを使い果たしていく。
瞑想は一人でもできるだけに、独力でやろうとしてしまうが、それが大きな間違いだ。

 

無意識に入るために意識を使ってしまうのが独力の限界だ。
これでは一生最強の瞑想状態に入るなんて不可能なことがわかるだろう。
人生は限られた時間である。
きっぱり瞑想を捨て去ってもっと有意義なことに時間を割くか、実力と能力に満ち溢れた瞑想の指導者に誘導してもらうか、中途半端だけは良くない。

 

 

brainsan.hateblo.jp

 

 

brainsan.hateblo.jp

 

 

brainsan.hateblo.jp

 

 

brainsan.hateblo.jp

 

 

brainsan.hateblo.jp

 

 

理性の限界を知り、瞑想で本能の解放をすれば潜在意識から覚醒できる

理性と本能はお互いに打ち消し合う関係にある。
理性が強すぎる人間は、人生を楽しめない。
本能が強い人間は動物的でパワーがあるが、過度に行き過ぎるとただの獣になる。

f:id:brainsan:20180611175716j:plain

人間は社会生活を送らなければならないが、どちらかと言うと理性が強くなったほうが、社会はうまくいきやすい。
ただしそれは表面上の話であって、生きる喜びを制限することにもつながるため、その匙加減が本当に難しいと思う。
社会生活には本能を制限したほうが為政者にとっては都合がいいのかもしれないが、私達個人の生活にとってはどうか?

 

理性でガチガチの生活を続けた人間は、パワーが無くなり、生命エネルギーが先細っていくことは事実だ。
そればかりか、脳が画一的な場面でしか発揮できなくなり(いわば歯車としての脳みそになる)、私生活においても感動が減っていく。
これはとても不幸だ。

 

人間が生まれてきた意味は、社会生活を送るためだけではなく、感動するためだ。
その感動は理性を制限したときに花開くことは事実。
そして社会生活と折り合いをつけながら、感動しようと行動をする。
しかし、あまりにストレスだらけで疲れてしまうと、いつの間にか大事な本能まで制限してしまい、肝心の理性の面でもコンピュータが狂っていく。

 

それは本能から得られる栄養分がなくなり、本能の上に乗っかっている理性の働きまで鈍くしてしまうからだ。
だいたいエネルギッシュで行動してたくさん感動している人間ほど、脳みその使い方が上手い。
理性を使い果たして、何にも生み出せない脳みそを持った人間は、単純作業だけをやるならまだしも、生産性のあることができなくなっていく。

 

生きづらさも理性を使いすぎるからだ。
だからこそ、そういう生き方に疑問を持った人は、瞑想や座禅やヨーガをやる。
理性では説明できないようなスピリチュアル、精神世界に生き方のヒントを求める。
それはすなわち、本能の解放をしようとしている。

 

ずっと理性で抑え込んできた本能を解放して、本来の人間らしい生き方を取り戻そうとしている。
そして本能を解放した時の感動を求めている。
潜在意識を覚醒したときの喜びの実感を無意識で欲しているのだと思う。

 

本能で生きている人は疲れない。
動くほどエネルギーが湧いて出てくる。
理性の人は努力すればするほどすり減っていく。ストレスが溜まっていく。
そのはけ口もない。

本能を解放したときにだけ、ストレスが消えて出ていってくれる。
だからこそ、瞑想が必要だ。
瞑想は決して理性を使ったらうまくいかない。
理性がいかに無駄で、邪魔なものかがはっきりわかる。

瞑想の本当の効果をさらにあるが、少なくとも理性に頼りすぎる自分に気付けただけでも大きな価値はあるんだと思う。
瞑想状態、それも超瞑想状態に入ることさえできたら、心がリセットされる。
潜在意識の働きが覚醒し、脳みそも異常に活性化する。
本能が解放されていく原始的な感動にも浸れる。
これが一番自分に必要なものだったのだと気づくに違いない。

 

まずは理性の限界を知ることだ。
意外に人は自分が理性に縛られていることに気づいていない。
しかし、瞑想に取り組むと、うまくいかない自分に直面するだろう。
そのとき理性でものごとを追求する刷り込みがされていることに気付かされる。

 

そして、そんな自分では大きな発想ができないこともわかる。
そうなるといくら理性を鍛えても限界があり、本能が本当に覚醒したときにこそ、大きく人生が変わることに気づいていく。

 

瞑想そのものの効果をまずは感じなくても、その流れを知ることだけでも、瞑想(座禅でもヨーガでもマインドフルネスでもよい)に取り組んだ甲斐があったに違いない。

 

 

brainsan.hateblo.jp

 

 

brainsan.hateblo.jp

 

 

brainsan.hateblo.jp

 

 

brainsan.hateblo.jp

 

生産性のない瞑想は瞑想ではない 抑圧とストレスですり減る心を劇的回復させる瞑想の効果 

私たちは社会の一員であり、社会的動物だ。
この社会というものがとても厄介で、ともすれば非常に抑圧的で私たちの心を抑えつけてくる。
そして社会全体が非常に利益を追求する、行き過ぎとも言える資本主義、拝金主義になっている。

 

当然社会の一員である我々は、利益を追求しないといけないし、そのために個々人のマインドを無視して、成果を出すように追い立てられる。
みなストレスを感じながら生きざるを得ず、それでも頑張って働くことが生きることだと思い込まされている。
いつしかマインドが大事にされなくなって、骨の髄まで実利的な思考に支配されている。

 

そこに疑問を持った人が瞑想に興味を持つ。
実利的過ぎる社会で消耗した自分を取り戻すために。
今後、ますます瞑想は社会をギスギスしたものにしないためにも必要とされるものだと思う。

 

しかし、あくまで社会の一員である私たちは、社会的に生産性のある人間であることも大事だ。
社会的な廃人になってまで瞑想に没頭し続けるのはどうかと思うし、そもそもどうやってそれで食べていくんだ?という疑問が生まれる。
つまり、理想的な瞑想とは、社会で能力を存分に発揮できるために利用するものであらねばならないと思う。

 

よく瞑想やマインドフルネスをやって、心が満たされてしまって、生きる意欲が減退したという危険性を言われることがある。
だが、それはその人が瞑想を逃避に使っただけのことだと思う。
瞑想に逃げ込まなくても、そういう人はいい向精神薬があればそれに依存するかも知れないし、麻薬の類に手を染めるかも知れない。
アルコール中毒になる人だって逃避の最たるものだ。

 

しかし、本当の瞑想で得られる効果は、モチベーションは上がるし、脳は覚醒していくし、ストレスも吹っ飛ぶから、次に進むエネルギーがどんどん湧いて出てくる。
自分を抑圧してきたものから吹っ切れるから、脳も心もとにかく自由になる。
自分のやることがうまくいくようになるし、その風も感じられる。
運もとても良くなる(オカルト的な意味ではなく運を掴める脳に切り替わる)し、瞑想ほど社会的に生産性を高めてくれるものはない。

 

いくら会社が利益を出すように強制してきても、当の本人がストレスで潰れていたのでは何の意味もない。
それを強いる会社は社員を使い捨てとしか見ていない。
ブラック企業の例だけじゃなく、悪徳芸能事務所が、タレントを使い捨てにしているような例はたくさんある。

 

だから、私たちは自分で自衛のための武器を身に着けなくてはいけない。
そのために一番手っ取り早いのが瞑想だし、瞑想を極めるまで行かなくても、途中経過で大きな効果を感じられるのだから、もっともっと瞑想が広まって欲しい。

どうせやるなら短期間で圧倒的な効果を感じられる覚醒瞑想(誘導式の瞑想)が一発だ。
たった一回か二回で、効果をなかなか感じられない瞑想法の効果を上回ってしまうのだから。

 

瞑想を逃避で使うのではなく、成長のために、人生を変えるために、そして生産性のある人間になるために使って下さい。
人間の脳の持つ爆発的な可能性に多くの人に気づいてほしいです。

 

 

瞑想の表面的な効果に騙されるな。

瞑想にはいろいろな種類があるが、どの方法も心に平穏と静けさをもたらしてくれる。
実際にその効果をどこも語っているが、無意識の底から抑圧がなくなった上での平穏さと、表面的に『臭いものに蓋』の平穏さは違う。
もちろん、心がかき乱されている状態が毎日続けるよりも格段にいいわけだが、瞑想の効果をそのレベルで留めていくことはもったいないことだと思う。

 

瞑想の可能性はもっと高く、もっと深く、人智を遥かに超えた効果をもたらしてくれるのだ。
表面的に心に静けさがやってきても、もっと奥の無意識にはドロドロとした抑圧がある。
この抑圧は程度の差はあれ、誰でも持っている。
誰もがこの抑圧と折り合いをつけながら生活をしているし、この抑圧が有意識にまで上ってきたら、それは神経症になったり、メンタルの不調に陥る。

 

瞑想で表面的な効果だけで、もっと根っこのところを無視していると、いつか溜まりに溜まった抑圧のエネルギーが爆発してしまう。
それは生きているだけで不安になったり、孤独感がひどくなったり、つねに神経がピリピリしたり、いい感情が出てこなくなったりする。

瞑想を決して、抗不安薬向精神薬として使ってはいけないと思う。
一時しのぎは、文字通りしのげるのは短期間だけだ。
人生は長いし、人生のどこかでガタが来てしまったら、私のように苦しい思いをすることになる。

 

悩みは抑圧をするからどんどん悩みが悪化する。
抑圧された悩みのエネルギーを、それこそ無意識から解放することができたら、悩みは悩みではなくなる。
なんでこんなことにくよくよ悩んでいたんだと思う。
そして自分を受け入れることができる。
あるがままに生きられるし、すべてのとらわれから解放される。
私はこの体験があり、本当に生きるのが楽になった。

 

下手な瞑想法は、表面的に顕在意識の上で平穏さを取り戻させることで、もっと解決しなくてはいけない問題の根っこに蓋をしてしまう。
解決は先延ばしになると同時に、抑圧だけは気づかないうちに溜まっている。
そして抑圧のエネルギーが爆発した時、完全に不安・恐怖・焦燥感・抑うつ感・孤独感・怒り・哀しみ・無感動に完全にマインドが支配されてしまう。
これは抗不安薬などに頼り続けて、日々をしのいでいると、根本原因を解決できないまま、いつか薬の効果が現れなくなった時、一気に悪化するケースと似ている。

 

そもそも瞑想をやるからには、一番根底の部分から自分の心を浄化することになったはず。
抑圧したものを解放させるためのはず。
しかし、表面的な瞑想の効果は、逆にそれを見えなくさせてしまう。
そしてせっかく味わった効果をまた味わおうと、人は頑張ってしまう。
有意識オンリーの瞑想をして、表面的な効果すら味わえなくなっていく。

 

 

brainsan.hateblo.jp

 

 

brainsan.hateblo.jp

 

 

brainsan.hateblo.jp

 

 

brainsan.hateblo.jp

 

 

brainsan.hateblo.jp

 

brainsan.hateblo.jp

 

あなたの瞑想が行き詰まる理由 これでは最高の瞑想状態に入れない

瞑想という行為は、座禅やヨーガやスピリチュアルや自己催眠や自律訓練法などあらゆる分野で使われている。
自己啓発で取り入れている所も多いし、マインドフルネスとして社員教育に使っている有名企業も多いし、修験道の修行もある種、動きのある瞑想と言えると思う。

つまり瞑想は非常に広く、我々の生活にとても密接だ。
大自然のところにいて、目を閉じて滝の音や川のせせらぎ、森林浴、マイナスイオンを浴びる行為も瞑想と言えなくもない。
逆にそのそちらのほうが瞑想をしようという堅苦しさがないぶん、心が洗われて日頃のストレスも抜け出てくれるかもしれない。

 

しかし、いざ瞑想をやろうと思うとうまくいかない。
それはなぜだ?
なぜ昨日は調子が良かったのに今日は駄目になったのか?
昔、瞑想状態にふと深く入ってしまって、とんでもない恍惚感を味わった人が、なぜあの時の奇跡が起こらないままなのか?

 

これは人間には有意識と無意識というものがあることが大きな原因だ。
有意識が無意識の拡大を排除するという性質による。
理性を持った自分が、理性を飛び越えた世界に入ることに恐怖を覚えてしまうのだ。


普段有意識で我々は生活しているが、いざ自分の中で無意識が拡大しようとすると、同じ自分なのに一気に敵対勢力になる。
有意識と無意識は、同じ意識のはずなのに分離している。
そしてお互いに邪魔をする。

 

私はこの二つの間でとても苦しんだ。
有意識が「こういくぞ」と決めても、無意識が途端にストップを掛ける。
突き進みたいのに、なぜか勝手に恐怖や不安を使って行動を妨げる。

 

私は自分の中の抵抗を外すために瞑想をやった。
しかし、今度は無意識領域が拡大してくれる理想の状態に入ろうとすると、「それは危ない、やめろ、入り込むな」と瞑想状態の深まりを何ものかが妨げる。
深い瞑想状態、つまり無意識領域の拡大状態は、未知の世界で私自身足を踏み込んだことはない。
だから勝手に危険だと解釈するし、怖いと思う。

そのうち、瞑想の深く入ろうと考えに考えてしまい、無意識の拡大どころか、理性の肥大化、有意識の絶対的優位になっていった。
無意識の世界に入り込むことはとても難しいのだ。
理性を使った瞑想ほど空虚なものはない。
瞑想をやればやるほど、無駄な思考が入る。
考えないように頑張っても、その時点で考えてしまっているし頑張っている。

 

自分が瞑想状態に入り込むのに一番邪魔なのは、もう一人の自分の意識だ。
超越瞑想ヴィパッサナー瞑想などの各瞑想法、マインドフルネス、ヨーガ、スピリチュアルセラピー、座禅修行…手を変え品を変えて、突破を図るが、結局いつも同じことになってしまう。
自分の中の意識が変わらない限り、どんなに方法を変えても必ず行き詰まる。

 

しかし、同じことをダラダラとやるよりはマシだから、多くの人が瞑想の旅を続ける。
あれがいいか、これがいいか、そして何も変われない。
どうしても高くそびえ立つ壁を破壊できない。
いくら迂回しようとしても、壁は横にも永遠に続いている。
迂回した分だけ、時間と活力、あるいは金銭的な損失が発生する。
一生堂々巡りをして、人生が変わらない。

瞑想が行き詰まるのは、無意識と有意識の矛盾、未知への恐怖と不安、思考と防衛本能のせいだ。
残念ながら、自力でこの壁を突破をほとんどの人ができない。

 

brainsan.hateblo.jp

 

 

brainsan.hateblo.jp

 

 

brainsan.hateblo.jp

 

 

brainsan.hateblo.jp

 



ヒマラヤ聖者 ヨグマタ相川圭子さん出演のマツコの知らない世界 マツコのイライラ解消!?瞑想の世界を見て

たまたまTVを見ていたら瞑想のことをやっていて、それも瞑想みたいなものとは一番縁遠いマツコの番組だということで興味を持ってみた。
出演者はヒマラヤ聖者 ヨグマタ相川圭子さん。

 

どう主観の世界で終始する瞑想をマツコに説明するか関心を持ったが、気持ちがスッキリしたという瞑想の効果で終わっていた。
相川圭子さんの雰囲気はとてもやわらかくて親しみが持てるから、瞑想の紹介者としてはうってつけだと思う。

 

瞑想はそんなものじゃないよ、と瞑想を深く知っている人ならばいいたいけれど、そこがテレビの限界なんだろうな。
ヨガがいつのまにか気持ちをすっきりさせるものとして世の中に紹介されているように、瞑想も一般化したらスッキリして、ストレス解消できるレベルで紹介されるんだろうな。

 

それは寂しいと同時に、より瞑想を多くの人がやることにつながれば嬉しいことだし、説明しづらい瞑想のことを紹介しによくTVに出演してくれたと思う。

しかし、最後マツコに瞑想をやらせていたが、マツコのイライラはまったく解消できなかった。

逆にイライラのもとに執着してしまい(笑)、まあ、あの場面で瞑想をさせるのは失敗だったのかも知れない。
そもそもマツコは精神世界系のことは嫌っているし、自己啓発書を書いている人たちのことをボロクソに言っていたのも聞いたことがある(それはあたっているが)。
まあ、マツコは正直だと思う。

 

あんな短い時間じゃ無理でしょう。
ましてイライラさせるスタッフとテレビカメラが見守る中で瞑想を行うなんて、一番むずかしい環境だ。

ヨグマタ(宇宙の母)と呼ばれる相川圭子さんは人間の意識の究極の瞑想状態であるサマディに到達したとのこと。
客観化、数値化はできないため、本当に究極の瞑想状態に到達したかどうかは本人しかわからないけれど、ともあれインドで尊敬を受けている方なのは確か。

 

瞑想をやっている人にとって、相川圭子さんの名前やその著作は目にした人は多いと思うが、いくら相川圭子さんがすごい瞑想状態を味わったとしても、そのセミナーでみんなに味合わせられることはできないという問題は避けようがない。
そこが瞑想の難しいポイントだ。

マハリシやバグワン・シュリ・ラジニーシにも同じことが言える。
本当に究極の瞑想状態や悟りにまで達したかは誰にも証明できないし、その弟子に味あわせてやることもできない。
瞑想はその人だけが「いっちゃって」絶頂感に至っても、同じ体感を別の人に味合わせられない。
バグワン・シュリ・ラジニーシの瞑想教団がカルト化して、アメリカで大問題を引き起こしたのも、ラジニーシの弟子たちが仮にラジニーシが素晴らしい人物だったとしても、完全に歪めてしまったからだ。

 

瞑想はいくら師匠がすごくても人に伝えられない。
本質的に継承されない。
ぷっつりと断絶してしまう。

 

それは瞑想セミナーやスピリチュアルのワークに参加しても、参加者の資質や取り組み方で大きく効果が変わってしまう。
まったく瞑想に入れない人もいれば、ストレス解消した人もいれば、感情が爆発して抑圧が抜け出て呪縛から完全解放された人もいる。
だから、いくら名の知れた瞑想指導者のセミナーや合宿といえども、効果は保証されないんだな~。

 

私の尊敬する岩波先生は、誘導専門だ。
誰にでもそれこそバグワン・シュリ・ラジニーシの体感した瞑想状態を遥かに超えた体験ができる。
誘導されるだけ(先生に言うとおりにやるだけで)で勝手に先生が、最強の究極の瞑想状態に誘導してくれるから、施術前のドキドキはあっても、とんでもないすごい体感ができる。
ここまで瞑想状態を究極に誰にでも誘導できる技術を開発したという意味において、岩波先生は世界で唯一人の天才だと思う。

岩波先生自身は、このすごい体感を誘導されることはできないのだが(笑)。

 

ただ岩波先生の名誉のために言っておくと、先生は呼吸法の達人で、顎の切開手術を何時間も麻酔無しで完遂された(もちろん患者側として)ぐらいすごい。
だから誘導技術も突き抜けるものに成長させたのだろうが。

 

話が脱線してしまったが、世の中の人間はみんなイライラしている。
満員電車に乗ってはイライラ、渋滞にハマってはイライラ。
人間関係がうまくいかずイライラ。

 

イライラ解消だけでも、瞑想は本当にいいものだ。
瞑想をして逆にイライラしないためには、修行も必要だがもっと多くの人が瞑想や呼吸法をやって、社会全体がギスギスしないで済むようになってほしい。

 

brainsan.hateblo.jp

 

 

brainsan.hateblo.jp

 

 

brainsan.hateblo.jp

 

 

brainsan.hateblo.jp

 

この日本に最強の瞑想状態がある

f:id:brainsan:20140925142208p:plain

世界最強の瞑想法はこの日本にある
厳密に言えば東京と大阪に。(ある鬼才がいるところすべてに)
なんともありがたいこと。
そして脳覚醒瞑想を受けることができている私の運の良さ

人によっては超変性瞑想とも、瞑想トランスとも、瞬間瞑想とも表現されているこの瞑想法は、超鬼才岩波先生のプログラムのことだ。
脳覚醒を成し遂げたい方や魂を解放させたい方、あらゆることから自由になりたい方、絶対におすすめです。
宗教色もなく、変に偏った思想もないから安心だ。

まあ岩波先生については非常に多くの人が絶賛しているし、それ以上の圧倒的体感を実際に味わうことができる。
こんなすごいレベルで瞑想法を提供できる人は日本にまずいない。
世界的に名前がすごく知られている人もたくさん来ている。

 

効果が圧倒的に違うからだ。
瞑想や精神修行に興味を持っている人で受けないままでいたら、目の前に100億円が落ちているのに気づかないぐらいやばいことをしている。
もったいないし、100億を払っても誰も成し遂げられなかった究極の瞑想状態を岩波先生は導いてくれる。


世界中からも通ってきている人がいることを考えると、世界にもいないのであろう。
そして、何より誰もが驚異的な宇宙的体感、奇跡の神秘体感ができる。

宇宙の真理、叡智、ましてやアカシックレコードを追い求めている人にとって、これ以上ない技術だ。
マインドフルネス、スピリチュアル、自己啓発など心の中を変えようとしている人も体験しないで死ぬことなかれ。

 

今までやってきた瞑想法って何だったのか?
ガキの遊びだったのか?
それともまやかしだったのか?
そう疑問に感じている方ならなおさら、びっくりして感動して、そして心の底からの涙を流すであろう。

今日はここまで。
誇大文句でもなく、今日私が綴ったこの文章は多くの人が味わっている真実だ。
いまは雲をつかむような話、しかしこの脳覚醒瞑想の凄さを私もぜひ伝えたい、表現したいと思ってる。


そして、受けたくない人は別に受けなくてもいいけど、脳と人間のもっとも根本の本能・情動レベルから自分を変えていきたい、パワーアップさせたいと考えている人ならば、必ず受けるべきだ。

これ以上にすごい鬼才とその技術は世の中にはない。

 

 

 過去ログです

 

 


 












岩波先生のこと(覚醒瞑想・脳覚醒プログラム・心理脳内コンサルタント)

これまで岩波先生の脳覚醒技術の凄さとその体感の圧倒的な効果を述べてきた。
先生の鬼才っぷりは、いろいろな心理脳内プログラムを受けた人が賞賛し、時には畏敬の念を持って書いている。

 

鬼才とかカリスマとか脳の魔術師とか書かれてあると、とてもこわい人に思えるけれど、本人は至って陽気でからっとした超元気人だ。
独自に作り上げた脳覚醒技術があまりにやばすぎるのだけど、それが可能ならしめたのは岩波先生しかいないという強い個性を持っている。
そこははっきり感じる。

 

優しい眼の奥に隠された、めちゃくちゃ頭が切れる、鋭い眼。
発想が奇抜、そして肝が座っている。
またまたそう書くと怖いと思うけれど、冗談ばっかり飛ばしてる。
場はすごく和んで、誰からも好まれる性格をしているし、コミュニケーション能力が抜群。
技術だけじゃなくて、一人の人間として奇跡的な要素を持った人だ。

 

世界中から奇跡の体験を求めて、岩波という存在に会うためにわざわざ通ってくることも納得するし、有名人が虜になるのもわかる。
世界にたった一人しか存在しない奇跡的な人だ(宗教的な意味は一切ない)

 

特に、人と違うことをする、人と同じ発想もしないという信念は凄いと感じる。
かっこいいと思ったのが、かつて岩波先生がメンタル面で抱えるものがあった時、あらゆる克服方法を試してもまったく効果が出ず、普通ならば諦めてしまう所、「俺が作り出してやる」と思えたこと。

 

そして思うだけなら誰でもできるが、実際にそれを可能ならしめてしまったこと。
時代を切り開ける人の発想をもろに持っていて、実行できる稀有なお人だ。

 

でも、すっごく明るくカラッとしててとにかく面白い
人に気を遣わない楽さと実は気配りもできるという両面性を持っている。
だからいつまでも接していたいと思うし、ただしパワーがありすぎるので、圧倒される時もしばしば。

 

そして先生がいつも言っているのが、「俺は不安なんかもう感じない。逆に感じてみたいぐらいだ。毎日いつもハッピーで楽しくてしょうがない」。
そこまで行きたいものだ、私も皆さんも。

 

他のブログなどで現在も脳覚醒技術が進化し続けていると見聞きするけれど、毎回トランスの感覚が違っている。
それもありえない! こんな感覚があったのかと驚きと感動が毎回ある。
先生は戦後すぐの生まれなので結構年をとっているけれど、今も技術を磨いていることも、生涯現役を目指す私にとっても刺激になる。
人は限界を決めてはいけないのだと強く思う。

 

とにかく瞑想をダラダラ劇的効果を感じられないでやり続けるのであれば、岩波先生のお世話になったほうがいいと思う。
いや体験しないとならないととんでもないミスをしていることになる。

100年の修業がたった一年以内にクリアできるのだから。

30年の修業なんて一日で超越してしまう。

たくさんある瞑想法なんて本当にアリンコの瞑想のようなもので、効果をまざまざと実感できる。
百聞は一見にしかず、億理は一感にしかず。


それ抜きにして、一人の人間として男岩波と接するだけでも人生がいい方向に開ける、そんなお人です。

あとは岩波先生の考え方はこちらを参考にするといいでしょう。


岩波先生の言葉・講演集 夢実現・脳力覚醒・悩み改善のために Dream Art Laboratory

 

もしくは岩波先生の近著『奇跡の脳覚醒 頂点を極める成功哲学』を本屋で買って読めば、先生が少しは理解できると思います。
もしくは理解するまで読み込むか覚醒瞑想などの岩波先生のプログラムを受けたら簡単に答えが出ます!
↓岩波先生の覚醒瞑想プログラム

 

 過去ログです


 


 










脳覚醒状態と岩波トランス誘導技術

私は瞑想というつかみどころがないものに心が惹かれながらも、奇跡という現象には眉唾をつけるところがある。

それは岩波先生に出会うまで、奇跡のキの字も味わったことがなかったからに他ならない。
その私でもこれってちょっと奇跡を味わっているのではないか? と感動したくらい岩波先生の技術は『奇跡的』だ。
 
皆が皆すごいというが、まだ体験していない私はどうすごいのか当然半信半疑
とはいえ、口を揃えてすごいだのやばいだの圧倒的なあり得ない体験というのだから期待はしていた。
あとは岩波先生のキャラの濃さとその自信だ。
先生に出会って、何も感じない人間はよっぽど感性が鈍いか、人を知らない人に違いない。
まさに生きるカリスマ、鬼才という形容がぴったりだ。
 
そのカリスマっぷりや鬼才っぷりに有名人や実力者が多く魅了されている。
 
奇跡と言っても超能力はそこには全くない。
だからオカルトでもなく、脳に起こるべくして起こる現象を、おそらくは世界で唯一どうすればいいか気づいている人が起こす『奇跡』なのだ。
変な薬も使わず、先生の腕一本で奇跡の脳覚醒体験を味合わせてくれる
 
さらに言いたいのが、私が特別なのではなく、凡人の私ですらその奇跡のすごみを味わえるということ。
そこに注目して欲しい。
 
特別の訓練をした人がたどり着ける世界ではなく、どんな人間でもなれる。
そしてそういう我々がトランス呼吸法の努力をしたならばもっと進化できるというのだから、頑張らない訳にはいかない。
 
奇跡なのはまさにそこだと思う。
東京、大阪の街中で誰であれ、あり得ない体験ができること自体が奇跡に他ならない。
岩波先生と同じ時代に生きていることに感謝!
 
岩波先生の真似は決して誰にもできないのだから。
世界にもいないしこれからも現れないだろう。
だから奇跡的な存在だし、出会えたのも奇跡だ。
 
  
 

 過去ログです