私はもともと不安を人一倍感じやすい人間で、ストレスも溜めやすかった。
そして生きている実感を常に得られていたかというとそうじゃなかった。
自由に生きていなかったと思う。
鬱屈した抑圧されたものを潜在意識に抱えて生きていた。
そりゃあ、いいこともあった。
人間関係がうまく行っていた時もあったし、学業、スポーツの分野でもコンプレックスを感じてきたわけではない。
手先も器用だったし、自分の能力的なものの不足は感じていなかった。
それが私の学生時代だった。
しかしこの世の中で一番うまくいかないものが、社会組織と人だ。
特に人間というやつは組織を形作っているわけで、この人間に私は心身ともにやられていった。
もともと不安感が強い人間が、私に合わない環境に飛び込んだ時(それは社会人一年目)、激務とストレスとパワハラでどうなったか?
私はうつ病になりかけた。
社会的に抹殺されそうになってしまったのだ。
私の一番の弱点はメンタルに弱いところがある。
強いところもなくはないが、弱点がすべてを上回ってしまうほどだった。
対人不安感で私は今までどれだけの損をしてきただろう?
そのくせプライドは強く、人に負けたくない気持ちは強かった。
それが私のパワーの原動力になったと同時に、劣等感を増すマイナスのエネルギーともなっていた。
人から笑われたり、バカにされたりすると異常にプライドが傷つく。
一週間以上も悩み続けた。
かといってその抑圧のはけ口もなかった。
だからどんどん鬱憤が溜まっていく。
趣味の世界で抑圧を解消させようとしても激務で時間が取れない。
そのくせ普通に仕事をこなしていても、最悪の人間性を持った性格が歪んだ上司がパワハラをしてくる。
理不尽な要求をされ、それを必死でこなしても、褒められることがない。
パワハラや職場の人間関係でのストレスで、どんどん私の心は消耗摩耗していった。
どうにかパワハラ以外では人間関係を円滑に進めようとしていたし、表向きはまあまあよくやれていた。
しかし、私の心だけは騙せなかった。
「俺はしっかり悩まずやってますよ」的な演技をして周囲に合わせている自分に疲れていった。
仕事に行く足取りは重くなり、気づけばため息ばかり。
イライラした気持ちもあった。
もう何もかも投げ出したかった。
フリーになって、自分の足で自由に進みたかった。
しかしそこまでの勇気はない。
会社の社畜としてしか行きられない自分を情けなくも思った。
このままでは私の人生は何だったのかわからなくなる。
きっと死ぬときに後悔をするだろう。
社会人一年目から私は早く引退したいとまで思っていた。
それほど疲れていた。
環境の激変で人は病み始めるらしい。
しっかりとした自分が確立されていないから、ちょっとした異動でストレスに心が耐えられなくなる。
仕事への充実感や夢実現へ頑張ることなど、いつの間にかなくなっていった。
心がきしんだ音を立てていることだけは自分でわかっていた。
逃避したい気持ちがどんどん強くなっていった。
人生はまだまだ長い。
5月病をずっと患っていた私は、何かの答えを求めようと思ったのか、会社の休み時間に本屋をさまよっていた。
その時ふと目についたのが瞑想関係の本だった。
この本を読めば会社の疲れもストレスもなくなり、理想の自分になれるという。
心、この時私はピッと何かを感じた。
これだ、この方法なら私は救われると直感で思った。
読めば自分のコンプレックスもなくなる(とらわれなくなる)らしい。
今まで瞑想だのスピリチュアルとか精神世界のことは全く頭になかった(と思い込んでいた)私には、新しい世界が待っているような気がした。
こうして私は瞑想に急激にのめり込むことになった。
しかし瞑想とは迷走であるということを思い知った。
しかし本物と出会うまでの瞑想追求の行動は役立たなかったわけではない。
心構えとか己の心との向き合い方とかたくさんのことが学べた。
これが現在の覚醒瞑想へ通じることとなった。
人生に無駄はなにもないのだ。
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