私は瞑想というつかみどころがないものに心が惹かれながらも、奇跡という現象には眉唾をつけるところがある。
それは岩波先生に出会うまで、奇跡のキの字も味わったことがなかったからに他ならない。
その私でもこれってちょっと奇跡を味わっているのではないか? と感動したくらい岩波先生の技術は『奇跡的』だ。
皆が皆すごいというが、まだ体験していない私はどうすごいのか当然半信半疑。
とはいえ、口を揃えてすごいだのやばいだの圧倒的なあり得ない体験というのだから期待はしていた。
あとは岩波先生のキャラの濃さとその自信だ。
先生に出会って、何も感じない人間はよっぽど感性が鈍いか、人を知らない人に違いない。
まさに生きるカリスマ、鬼才という形容がぴったりだ。
そのカリスマっぷりや鬼才っぷりに有名人や実力者が多く魅了されている。
奇跡と言っても超能力はそこには全くない。
だからオカルトでもなく、脳に起こるべくして起こる現象を、おそらくは世界で唯一どうすればいいか気づいている人が起こす『奇跡』なのだ。
変な薬も使わず、先生の腕一本で奇跡の脳覚醒体験を味合わせてくれる。
さらに言いたいのが、私が特別なのではなく、凡人の私ですらその奇跡のすごみを味わえるということ。
そこに注目して欲しい。
特別の訓練をした人がたどり着ける世界ではなく、どんな人間でもなれる。
そしてそういう我々がトランス呼吸法の努力をしたならばもっと進化できるというのだから、頑張らない訳にはいかない。
奇跡なのはまさにそこだと思う。
東京、大阪の街中で誰であれ、あり得ない体験ができること自体が奇跡に他ならない。
岩波先生と同じ時代に生きていることに感謝!
岩波先生の真似は決して誰にもできないのだから。
世界にもいないしこれからも現れないだろう。
だから奇跡的な存在だし、出会えたのも奇跡だ。
世界にもいないしこれからも現れないだろう。
だから奇跡的な存在だし、出会えたのも奇跡だ。
岩波先生の覚醒瞑想プログラム
過去ログです