瞑想は究極の無へリセットすること、しかしその現実
瞑想の理想は究極の無だという定義ができる。
無になること、リセットが完全になされるということは、すべての苦悩、ストレス、苦痛からの解放であり、自由なとらわれのない心を獲得できる状態だ。
しかし、人間はどうやら普通にやっていたら「無」になることはむずかしいらしい。
無になりたいのにできない。
すべてを瞑想でリセットしたいのに、リセットを試みようとする自分が一番に無になれない。
瞑想はとても難しい。
一番やっかいなことは、無になれそうなぐらい調子が良いときほど、無になっていく自分が歯止めをかけてしまうのだ。
なぜ無を欲するのに、無になりたくない深層心理が働くのだろうか?
無になれない瞑想は、下手をすると瞑想をするほど、無ではない自分にとらわれる結果になる。
この無になるという理想の状態を、自分で制限してしまう心理と脳のメカニズムを知らないと、先に進むことはないだろう。
一人で瞑想を黙々とやる弱点をそこにある。
弱点と原因を知ることこそ、より瞑想力が覚醒してくれることに繋がる。
無になれない原因
実は人間の潜在意識、深層心理というやつは、顕在意識とは全く違う。
ある人間を憎くてたまらない、しかし深層心理では実は愛していたなんてことは、愛憎劇でよくある。
人間には変身願望があるが、その実、変わるぐらいならば停滞した現状で甘んじている方を好んでいる、なんてことは誰にでもあることだ。
その変わりたいのに変われない自分を突破できた人間だけが、最高の成果を人生で獲得できる人だ。
つまり、自分の防衛本能を突破しなければならない。
しかし理性の努力では本能を超越することなんて不可能だ。
だから、瞑想が理想的な方法なのだが、困ったことに無になれば変われることを知っているのに、無になる自分が怖い。
瞑想をしても結局現実世界と同じ壁に直面するのだ。
防衛本能は、本能だから、変わっていく自分に歯止めをかけてくる。
瞑想を深くやり続けている人は、そこを何度も何度も味わっている。
必ず誰もがこの壁に直面するだろう。
瞑想の多くが効果なし、もしくは気休め程度で終わるのは防衛本能を破壊できないからだ。
まして、一人で黙々とやっている瞑想法では、自分の防衛本能の強さを再認識するだけに終わるだろう。
この壁を突破した人だけが、本当の瞑想マスターだ。
残念なことに、瞑想の指導者の多くが、瞑想の価値をちょっと知っているだけに過ぎない。
なぜならば、究極の無のすごみを味わったことがないからだ。
一人で瞑想をやることの危険性
ある種の人達は、リミッターを外すことができる。
天才とも言えるが、実は厄介な危険性がある。
禅病、瞑想の魔境といった言葉を聞いたことがないだろうか?
防衛本能を簡単に超越してしまう人は、それに陥りやすい。
努力や苦労をせずに突破してしまうだけに質が悪い。
無という理想の状態になるどころか、逆にこれまで抑圧してきた負のエネルギーに飲み込まれてしまうのだ。
瞑想の合宿で発狂状態になったり、急に外に飛び出していく人やまるで悪霊に憑依されたような錯乱状態になる人がいるが、まさにそれだ。
防衛本能が上手くかからないのだ。
だから防衛本能は必要だ。
しかし、理想的な瞑想状態を味わうためには邪魔者でしかない。
瞑想は禅病や瞑想の魔境に入らないためにも、瞑想から徹底的に効果を得たい人は、しっかりした実力のある瞑想指導者のもとでやるべきだ。
こつこつ一人で瞑想や呼吸法をする時間を確保しながら、定期的に瞑想指導者のもとで追求したほうがいい。
軌道に乗れば、自力で理想の状態に入れるようになる。
しかし、防衛本能の壁、それ以前に理性の壁を超えさせてくれない瞑想指導者のもとでは意味がない。
それならば一人でコツコツ気休めでもいいから瞑想をやっていたほうがいい。
リラックス軽減効果だけでも、やる価値はあるのだから。
だが、それならば温泉に入ったり、旅行に行ったり、好きな映画を見ていたほうが効果があるのかもしれないが。
瞬時に理性の壁、防衛本能の壁を超えさせてくれる方法がある。
誰でも壁の向こう側に行ける。
行き詰まっている人でも、99.9%大丈夫だ。
最強の誘導瞑想法については過去記事を読んでください。
またその体験談についても書いていきたい。