瞑想状態に入るために、何が必要なのか?
究極の集中状態?
無念無想?
泰然自若?
すべてをあるがまま受け入れること?
この答えは、すべて理性を捨てることにあると思う
瞑想をしている人のイメージは、目を閉じて座禅をしている姿が思い浮かぶが、ああいうジッとしているだけが、本当の瞑想ではない
それが静ならば、動的な瞑想もある
岩波先生と瞑想談義をしたことがあるが、ダンス、踊りでもトランス状態に入れるという
岩波先生は、ジャワかバリ島の奥地で原住民が踊り狂って、トランス状態に入った異様な光景を見たことがあるらしい。
そんな話をしてくれたのを覚えている。
若い女性が、観光客向けじゃない本場のケチャダンスをして、踊り狂った挙げ句にトランス状態に入り、生きた鶏の首を噛みちぎった姿を見たそうだ。
もしかしたら幻覚成分を事前に女性は飲んでいたのかもしれないが(原始的な祭りではよくある)、踊りだけでも人はトランス状態に入り、神がかりの状態になれるのだとわかった。
巨大なキャンプファイヤーがあったそうだから、火の圧倒的な威力もトランス状態を深めたのかもしれない。
いずれにしても、バリ島の現地人は、トランス状態に入るには、いかに理性を制限させるかを経験値として知っていたに違いない。
アマゾンの奥地でも幻覚作用のある飲み物を飲んで、シャーマンが神と交信するというし、何がトランスに必要かわかっている。
理性を幻覚作用でなくしてしまうのだ。
しかし、それだけではただのジャンキーになってしまう。
バリ島の例では、踊り狂うということがキーポイントだろう。
非日常的な祭りという状況も手伝って、理性がただでさえ少なくなっている上に、踊り狂うのならば、感受性の強い女性ほどトランス状態に入ってしまうだろう。
祭り参加者がみんな集団トランスに入っていたのかもしれないし、まさに理想的なトランス状態(=瞑想状態)だろう。
踊る、ダンスをすることは理性があっては決してできない。
つまり、瞑想状態になれるダンスがあってもいいわけだ。
静かな瞑想が苦手で雑念に邪魔をされる人は、踊り狂って瞑想をするのもいいかもしれない。
岩波先生から教わったことに、動きを徹底的にやって、一気に静止状態になることもとても有効らしい。
それは踊り狂わなくても、一定のリズムで動いていて(例えば上半身をその場を動かずにゆらゆらさせるだけ)、それを何時間か続けた後に、動きを止めて大の字になると、一気にトランス状態にはいっていくそうだ。
動きからの静止はとても有効的だから、瞑想がうまくいっていない人は取り入れてもいいかもしれない。
動くことは理性をなくす。
瞑想を単一的に座禅をする、マントラを唱える、チャクラを開くなど静的な方法に頼らず、もっと瞑想の概念を破壊した上で、瞑想に取り組んだほうがいいのかもしれない。
瞑想とは瞑想状態に入ることが重要であり、瞑想状態に入れば手段はどうでもいいのだから。