瞑想は自分で入ろうとすると実に難しい。
イライラするほど難しい。
調子が良い時はいいが、毎日は続かない。
毎日続かないとイライラしてくる、焦ってくるから、悪い流れに入りやすい。
あれこれ考えだすと、雑念が頭を支配し、ますます瞑想を難しくさせる。
「人間は考える葦である」だから、どうしても考えてしまう。
考えないように決意しても、考えないことを考えるというジレンマに陥る。
ジレンマに陥ったら、頭が重くなる。
もやもやした気持ちで瞑想をやろうとしても、頭がクリアになるどころか、無理やりクリアになりたい気持ちが、更に頭を重くする。
こう考えると瞑想は実に難しい、そして実に面白い。
だから、瞑想を難しくして断念してほしくない。
瞑想は本当にすごい可能性と価値観を持っていることは確かだ。
ただし瞑想状態に深く入らなければ何の意味もないのだ。
瞑想にはそういう意味では価値はない。
ということは、本を読んで瞑想がわかった気になっても、何の意味もないということだ。
それは変性意識状態に入れない瞑想は無価値だということ。
では、瞑想状態に深く入るためにはどうしたらいいのか?
こんな難しい瞑想で、効果を実感できる瞑想状態に入れるのか?
瞑想は自分と瞑想そのものを信じられなくなったらおしまいだ。
自分を信頼してすべてを委ねられるからこそ、瞑想状態に深く入っていく。
瞑想の可能性を信じきれるからこそ、身も心も瞑想に捧げられる。
だが、瞑想を難しいと思い込み、瞑想状態に入れるかどうかわからない自分を信頼することなど不可能だ。
そんな状態じゃ何をやっても効果を上げることはできないだろう。
ここで強く主張したい!
瞑想は拍子抜けするぐらい簡単だ。
瞑想状態に入ることなど朝飯前なのだ。
なぜか?
もとより瞑想を自力でやるものだという固定観念が間違っている。
瞑想は瞑想状態に入ることが目的だ。
それ以上でもそれ以下でもない。
つまり、瞑想状態に人に入れてもらえれば、もはや目的は達成したも同然だ。
瞑想状態に深く誘導できるプロに任せれば、簡単に瞑想状態を味わえる。
瞑想状態を味わえたら、今度はその感覚を思い出すだけでいい。
どうやって思い出すか?
それは呼吸法でも、マントラを唱えることでも、イメージングでも、阿字観でもいい。
瞑想状態を体感した脳は、必ず思い出してくれる。
あとは自分を信頼するだけだ。
瞑想状態を体感した脳は、すぐ再生してくれるだろう。
そこに努力も焦りも必要ない。
ただ待てばいい。
力を抜いて、感じるだけで、深い瞑想状態に自動的に入れるようになる。
そのコツを掴んだ時、瞑想は簡単だと思うだろう。
そう思えた時、自分を信頼し、瞑想の可能性を誰よりも信じられている。
だから、いつでも瞑想の効果を引っ張り出すことができるのだ。