瞑想を覚醒させる魔法 岩波英知脳覚醒プログラムについてのブログ

瞑想を熱心にやってきたブログ主の体験談。主に岩波英知先生の脳覚醒プログラムについて。すごい?怪しい?効果は?

岩波英知先生の頭を覚醒させる技術は嘘!? 誇張か本物か?  客観的検証と個人的な体験談に基づく徹底解析(岩波英知脳覚醒技術の口コミ)

(本物?嘘?)岩波英知先生の頭と脳を覚醒させるといわれている技術の真相

今日は岩波英知先生の脳覚醒技術について、客観的な視点と分析と、私自身の体験をもとに整理していきたい。

岩波先生の誘導技術はまるで嘘のようなことが起きてしまう。


岩波先生の頭の中を覚醒させるというテクニックは、いわば「究極の瞑想状態」に超短期間で誘導できてしまうものだ。
これは嘘ではなく間違いのない事実である。

瞑想に励んできた者にとって、まさに望外の涙を流したいぐらいすごい体験となる。
(瞑想に単純なリラックスだけを求める人にとっては衝撃的すぎて思考停止に陥るだろう)

そして、岩波先生が作り出してくれる瞑想覚醒状態は、個人の潜在意識を顕在化させ、心のブロックから解放することを手助けしてくれる(だからこそ、究極の瞑想状態に入れるとも言えるのだ)。
岩波先生の脳覚醒技術は、単純に見えるが、実はとても奥深いテクニックだ。

 

人の思考の癖、体の硬さ、姿勢の癖、脳の性質や特性、理性の使い方、感受性の有無、防衛本能の強弱などによって、すぐ繊細に技術を切り替えて、脳覚醒状態へと導けてしまう。

一見すると、破天荒で大胆な誘導技術に思えて、実は非常に繊細で、人の思考が微妙に動く度に先生は調整して、そして一気に誘導してくれる。

 

そして、脳覚醒状態には深さのレベルがあり、精神的な深化の次元がどんどん変化していく。

多くの脳覚醒体験をした人が言うように、頭の覚醒状態に停滞感はないのだ。
ある程度、脳覚醒状態の最初のインパクトに頭が対応可能になってくると、体の緩みが一気に作られ、そして潜在意識レベルが拡大していく。

潜在意識や頭の中が拡大すると、自分が発見でき、強いメンタルが形成されていく。
弱いメンタルの原因がわかっていくからだ。
自分の精神的な弱点に気づき、そこに執着しなくなっていくから不思議である。

 

これは常識から考えるとまるで嘘のような効果だ。
何も知らない常識で凝り固まった可哀想な人ほど、体験してもいないのに嘘だと言いたがるだろう。
ありえないのだから。

しかし実際にありえることがおき、嘘のようなことが本当に彼らにも起きてしまうのだ。

岩波先生の頭を変える技術は、メンタルブロックが瞬時に解除されるため、最初は溜め込んできた抑圧が出てくる。あるいは強いインパクト体験からはじまる。


変な抑圧が出ない人もいる。それは抑圧を溜めないで生きてきた人だ。
そういう人は、頭が軽くなったり、身も心リフレッシュしていく。

最初から最高の体感となるだろう。インパクトもすごいが。

そこから気持ちよさの余韻が増えていき、そして頭が覚醒していく体感が深まっていく。
脳の覚醒と言うが、基本的に「緩み」の体感をベースとして、そこから始まるのだと思う。

岩波先生の頭覚醒状態は嘘? 本当?

嘘ではなく頭が覚醒していく体感を書こう

潜在意識や頭が覚醒していく体感というものはどんなものかというと、自分が強く頼もしく感じる。
絶対覚醒ゾーンだと表現する人もいるが、自分が絶対的な存在に思える。
そんな自分を発見できるといっていい。


注意力や集中力が研ぎ澄まされる。
緩んでいながら、自分に力強さを感じるという、瞑想をやってきた者にとって嬉しい境地に達する。
悪い感情が全くない自分でいられる。
邪魔になる雑念がなくなり、思考がクリアになっている。
まさに心が定まる、そんな自分に自信が出てくる。

 

こういう脳覚醒状態へと変化していく。
頭の中が洗われ、なかなか発見できなかった自分の認知の誤りもわかってくるから、精神的にバランスも取れてくる。
自分はできる人だと思えてくる。

もしくは悩んできたものはたいしたことないものだと気づけてくる。
そうすると自分は不可能なことはないのだと気づけてくるのだ。

 

こういう体験をできた。
そして、頭が気持ちいい物質に包まれていて、とても柔らかく温かい。
で、とにかく気持ちがいい。

言葉の解釈で変な意味になるかも知れないが、快感がずっと続く状態になる。
こんな突き抜けた快感はないというぐらいに。

 

岩波先生の頭を変える脳覚醒技術は嘘ではなく、本当にこのような効果が現れてくる。

最初の関門は、岩波先生の誘導のあとに「緩んで気持ちいい」という余韻が現れるかどうかだ。
それが現れたら脳覚醒状態は次第に強まっていくだろう。

緩むものが勝ちだ。
緩んだ人だけが最上の能力を発揮できる。

岩波先生の頭を覚醒させてくれる口コミは嘘じゃないか? 大げさ過ぎはしないかと疑っている人にこそ、受けてみてほしい。
私が言っていることが嘘ではなく、「こういうことを伝えたかったのか!」と気づいてくれると思う。

 

(口コミは本当、嘘?)岩波の頭を覚醒させる脳覚醒技術は嘘?

一つ付け加えるとすれば、体感の質には最初個人差が現れる。
瞑想やヨガや呼吸法をやってきた人で、自分でもそれなりに良い感覚を引っ張り出せる人は、初回から頭が軽くなったり、覚醒状態に入っていくだろう。
これは嘘ではない。

抑圧で体がガチガチに緊張している人は、脳覚醒状態の入り口には誰もが入れるから心配しなくていいが、体に負担が来たり、ただの空白体験だけだったり、もがいている自分に気づいたりする。
それはまさに己自身なのだ。しかし心配する必要はない。次第にそれらはなくなっていく。

 

そして、緩みの余韻が誘導施術後に続くようになると、緩みをベースに脳の髄から頭が覚醒していく体験ができるようになるだろう。
それもどんな種類の体感になるかは個人差がある。

そこも楽しみにしてほしい。
岩波先生の本やネットで言っていることは嘘ではなく、本当にそれができてしまう。
あなたも脳覚醒状態の凄みを味わってほしいと思う。

 

私だけの感想では何なので、ブログやyoutubeから岩波英知先生についての口コミを紹介しておきます。

 

 

mimicomu.jugem.jp

tokyophantomblog.blogism.jp

deepinmeditation.doorblog.jp

 

ここからは私のブログ記事になります。

brainsan.hateblo.jp

 

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脳覚醒プログラムは怪しい? 危険? すごい? とある鬼才の作り出す究極瞑想体験

脳覚醒プログラムは怪しい理由を考察してみた

 

 

これまで岩波先生の脳覚醒プログラムの革新性、脳覚醒技術の凄さとその体感の圧倒的な効果を述べてきた。
先生の鬼才っぷりは、いろいろな脳覚醒プログラムなどを受けた人がブログなどの口コミで賞賛し、時には畏敬の念を持って書いている。

畏敬の念と書いたが、すごい技術と効果に敬意を持ちながらも、畏れの念も感じるという意味だ。
常識外のことが起きてしまうのだから、力量不足やずば抜けたものがない方法で足踏みをしている人ならば、ぜひ試してみてほしい。

 

なお脳覚醒プログラムでの誘導施術に慣れるまでは以下の心境になることを先に書いておきたい


あまりの驚きに、言葉が出なくなる!
信じられないことが起きる
ありえないことが起きたという驚き
自分がどこにいるのかわからなくなるぐらいのインパク
あまりに衝撃的な光景に言葉を失う
びっくりして言葉が詰まるほどのすごさ
衝撃的な出来事を目の当たりにする
オーバーショック
これまでの既成概念が崩壊する
理解不能な世界

こういったことが予想される。
これはあなただけではない。
みんな少なからずそう思うだろう。

みんなヤラセでやっているのではないかとか、サクラを雇っていると思ってしまう。
まずそんなことは一切ないのだから、それもすごいところだ。

実際にヤラセやサクラでお客さんを呼んでいるところは多いらしいが、先生のところは一切ない。
だから、先生はものすごく自分の技術に自信を持っている。

上記に挙げた初回の衝撃はまぎれもなく本当だ。

受ける人が目の当たりにしている光景はすべて事実だ。
本当に起きている。
岩波先生の誘導技術のインパクトといったら、世界中のどこにもないだろう。

先生はどんな人か? 実際に怪しいのか?

鬼才とかカリスマとか脳の魔術師とか書かれてあると、とてもこわい人に思えるけれど、本人は至って陽気でからっとした超元気人だ。
独自に作り上げた脳覚醒技術があまりにやばすぎるのだけど、それが可能ならしめたのは先生しかいないという強い個性を持っている。
そこははっきり感じる。

 

優しい眼の奥に隠された、めちゃくちゃ頭が切れる、鋭い眼。
発想が奇抜、そして肝が座っている。
またまたそう書くと怖いと思うけれど、冗談ばっかり飛ばしてる。
場はすごく和んで、誰からも好まれる性格をしているし、コミュニケーション能力が抜群。
技術だけじゃなくて、一人の人間として複雑な要素を持った人だ。

本人は自分のことを単純パーだと言っているが、すごく割り切って生きている人であることは間違いない。
自分勝手なところがあるが、そこはみんな多かれ少なかれ持っている要素だと思う。

 

エゴを満たして生きてきたという意味では、岩波先生はまさにそうなのだろう。

 

世界中から奇跡の体験、突き抜けた効果を求めて、岩波先生という存在に会うためにわざわざ通ってくることも納得するし、有名人が虜になるのもわかる。
世界にたった一人しか存在しない奇跡的な人だ(宗教的な意味は一切ない)

 

特に、人と違うことをする、人と同じ発想もしないという信念は凄いと感じる。
同時に、人と違うことができてしまうことは、実際どうなのか、嘘ではないのか、危険だ、怖い、脳覚醒プログラムは怪しいという噂が出てしまうが、しょうがないことだと思う。

 

脳覚醒プログラムは怪しいのではなく、すごすぎてやばいだけ

誰も体験するまでは脳覚醒プログラムは怪しい、そこにか書かれてあることはオーバー、もしくは嘘かもしれない、言葉だけ先行しているかもしれないと思うものだ。
受けてみたら、受けてよかったと思うし、99%以上の人が想像以上をいっているのだから、想像通りの体験となることもほぼない。

そしてサイトに書かれてあることは、すべて大げさではなく実際にそうなのだ。
実際それができてしまうからこそ、理解が追いつかず怪しいのだが、怪しいのは実は脳覚醒プログラムではなく、自分が自分に感じていること(これは誰かが書いてあったが、まさにそのとおりだと思う)。

何も知らないのに、受けてもいないうちから何でも、あれは怪しい、あれは危険だ、あれは大したことがないという人間がネット上にたくさんいるが、そんな人でも言葉を失う体験になるだろう。
怪しいと思う人間ほど受けてみてほしいと思う。

 

もしかしたら思考停止を起こして、既成概念が崩壊して、しばらく立ち直れないかもしれない。
しかし、最初から先生を少しでも信じている人ならば、自分の既成概念が破壊されることにすごい喜びを感じることだろう。

 

普通ではない特別な脳になった時、人は大きく変わっていくと先生は言っているが、常識が崩れることを歓迎し、自分が変わっていくことを楽しみにできる人は、やばいほどの感動体験となるはずだ。

 


話は変わるが、
かっこいいと思ったのが、かつて先生がメンタル面で抱えるものがあった時、あらゆる克服方法を試してもまったく効果が出ず、普通ならば諦めてしまう所、「俺が解決方法を作り出してやる」と思えたこと。

 

そして思うだけなら誰でもできるが、実際にそれを可能ならしめてしまったこと。
時代を切り開ける人の発想をもろに持っていて、実行できる稀有なお人だ。

 

でも、すっごく明るくカラッとしててとにかく面白い
人に気を遣わない楽さと実は気配りもできるという両面性を持っている。
だからいつまでも接していたいと思うし、ただしパワーがありすぎるので、圧倒される時もしばしば。

 

そして先生がいつも言っているのが、「俺は不安なんかもう感じない。逆に感じてみたいぐらいだ。毎日いつもハッピーで楽しくてしょうがない」。
そこまで行きたいものだ、私も皆さんも。

 

他のブログなどで現在も脳覚醒技術が進化し続けていると見聞きするけれど、毎回トランスの感覚が違っている。
それもありえない! こんな感覚があったのかと驚きと感動が毎回ある。
先生は戦後すぐの生まれなので結構年をとっているけれど、今も技術を磨いていることも、生涯現役を目指す私にとっても刺激になる。
人は限界を決めてはいけないのだと強く思う。

 

とにかく瞑想や呼吸法などをダラダラ効果を感じられないでやり続けるのであれば、先生の神技術のお世話になったほうがいいと思う。
いや体験しないとならないととんでもないミスをしていることになる。

100年の修業がたった一年以内にクリアできるのだから。

30年の修業なんて一日で超越してしまう。

たくさんある瞑想法なんて本当にアリンコの瞑想のようなもので、効果をまざまざと実感できる。
百聞は一見にしかず、億理は一感にしかず。
先生の本に書かれてあることは誇張表現がないと思っていい。


それ抜きにして、一人の人間として男岩波と接するだけでも人生がいい方向に開ける、そんなお人だ。

あとは先生の考え方はこちらを参考にするといいでしょう。

 

www.mind-artist.com

 

もしくは先生の近著『奇跡の脳覚醒 頂点を極める成功哲学』を本屋で買って読めば、先生が少しは理解できると思います。
もしくは理解するまで読み込むか覚醒瞑想などの先生のプログラムを受けたら簡単に答えが出ます!
↓覚醒瞑想プログラム

 

 

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瞑想状態からさらなる覚醒の深みになる方法 潜在意識の覚醒方法

岩波英知先生の瞑想覚醒方法、潜在意識覚醒方法の効果と評判

瞑想覚醒方法、潜在意識覚醒方法

いつまで経っても、瞑想が深まらない。
覚醒したいけれど、理性ばっかりが肥大化する。
最初の瞑想への期待感が潰え、しかし捨てることも怖くて、いつまでもダラダラ惰性に続けている

 

こうして多くの人は、瞑想に幻滅を感じる。
しかし、幻滅する対象は瞑想法ではない。
何より自分自身にがっかりする。

 

瞑想から効果を少しも感じ取れない。
苦痛、退屈、雑念ばかりとの戦いに入る。
少しも気持ちよくならないし、神秘体験も来ない。
達観、気付き、悟りに至らない。

 

 

惰性化した瞑想状態から離れられないのは、自分を捨てられないからだ。
しかし、捨てられない。
捨てたいけれど、捨てることが怖い。
意識的には捨てようと思っても、無意識的に自分を守ってしまう。

 

だから、いつまでも一線を越えられず、突き抜けられない自分に心のどこかで幻滅していく。
瞑想を経てパワーアップするつもりが、パワーダウンしてしまう。

 

 

瞑想とは残酷なものだ。
自分の無力感に打ちのめされやすい。


 

だからこそ、ロケット的な爆発力が必要だ。
自分というリミッターやストッパーを劇的に打ち壊すほどの推進力がなければならない。

 

瞑想が劇的に深まるとき、いわば覚醒するとき、自分という殻を散々打ち壊さないといけない。
これまでの固定観念、常識、理性、防衛本能、自分で無意識的に決めている限界、これらのリミッターを外すためには、誘導されたほうが手っ取り早い。

 

瞑想には師匠が必要だ。
迷いやすいから、導ける人の存在が大事だ。
いつでも軌道修正してくれる。

 

多くの瞑想指導者(ヨガや座禅も含む)は、自ら苦労して瞑想から効果を引き出しています。
だからこそ、人を導けるわけだけど、限界もあります。

 

いくら瞑想の達人が経験値が豊富だとしても、同じ人格でも精神でもなく、他人にはそのコツが適用できないという問題があります。
瞑想状態が突き抜けるまでに覚醒した人が、人を覚醒させられる保証はありません。

 

あくまで突き抜けるのは己の脳のみなのだ。
いくらありがたいアドバイスを貰っても、せいぜい軌道修正がいいところで、それも必要なものだけど、突き抜けるまでは行かない。

 

だからこそ、言い方は悪いけれど、強制的な瞑想の極地に至る方法が一番だ。
その後から、自力で瞑想状態の深まりを追求していけばいい。

 

 

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瞑想は時間をかけたから効果が出るわけではない

瞑想状態に入るコツと瞑想の効果

瞑想状態に入れたり効果を得るには時間をかけたからできるわけではない

 

瞑想の効果=時間の積み重ね だけではない


瞑想は時間をたくさんかけた人が勝ちではない。

逆にうまくいかない時間を積み重ねてしまうと、脳がやればやるほど停滞しやすい。

 

そこが瞑想の難しいところだ。

瞑想をして変性意識を味わい効果を得る。

しかし、翌日その感覚を忘れ、また仕切り直しになる。

 

脳が停滞化すると変性意識状態を思い出すのに時間が倍かかる

 

2日すぎるともっと変性意識の感覚を思い出せない。

せっかく瞑想をしているから、効果を得ようと頑張りさらにうまくいかない。

あのブッダでさえ悟りを得ようとした時、全く悟れなかった。

 

一般人の我々が瞑想をして悟れる状態に行くわけがないのだ。

だから、瞑想を時間をかけてやり続けたから、いつか瞑想が花開く、覚醒するなんてことは難しいことだ、

 

まずその考えがよくない。

瞑想は量よりも質だ。

しかし、質を求めたら質は逃げてしまう。

 

時間関係なしに瞑想の効果を味わうには?

 

では質をよくするにはどうしたらいいのか?

質を求めない心だ。

すべてを放棄することから、質の向上は図れる。

質を無頓着だから、勝手に質が深まるものだ。

それは真理だと言っていい。

 

時間をかけても、取り組み方が間違うと、脳は瞑想に入らない癖だけがついてしまう。

入らないから頑張る、あれこれ考え試行錯誤する。

その努力はとても素晴らしいが、努力の分だけ損をする。

 

捨てよう、失おう、放棄しよう

 

そうなったら、一度捨ててしまおう。

自由になろう。

ゼロにリセットしてから、初心の無垢な心で瞑想をやる、

 

瞑想は心も脳もリセットできる効果をもたらしてくれる。

そのためにも捨てる、放棄する、思考の断捨離をしよう。

 

ブッダも捨てることができたから悟りを開けた。

無の境地、悟りの境地に達するのに時間は関係なかった。

 

あったとしたら、これだけ時間をかけたのに悟れない自分に気づけたことだ。

だから捨てられた。

もう無駄だと思えたから、費やした時間を取り戻せた。

 

瞑想で時間を失わないためにも、積み重ねてきた時間も捨てよう。それが瞑想覚醒方法

 

瞑想は時間ではない。

もし瞑想に価値を見出せなくなったのなら、無駄な時間を過ごしてしまったことになりかねない。

無駄にしないためにも、瞑想の取り組み方を抜本的に変革して、真の瞑想のコツと効果を獲得しよう。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

極限の瞑想状態・トランス状態に入った時、脳と潜在意識にどんな奇跡の時間が流れているか

 

極度の瞑想状態・トランス状態への覚醒方法

極度の瞑想状態・トランス状態。それは時間が大きくズレること

脳のズレ=時間のズレ=瞑想状態の深まり

極限の瞑想状態・トランス状態は脳がずれている。
そのズレとは何がずれているのか?
逆に何がずれたら、脳が覚醒状態に入っていくのか?


今回はそのブログです。

 

極限を超えた瞑想状態、トランス状態がたしかにある。
それは誰もが体験できるもので、聖者やグルだけの特権ではない。

では、理想の瞑想トランス状態時に、脳と潜在意識にはどんな時間が流れているのだろう?

 

時間感覚が変容=変性意識状態

瞑想状態が、変性意識状態の入り口に入れた状態から、悟りを開ける状態まで幅広いことをいうが、軽い変性意識状態は時間が普通と流れがあまり変わらない。
しかし、極限状態になった時、時間の流れが変わる。

 

瞑想をやらなくても、人間には時間の流れを変えられる偉大な力がある。
一般人ほど時間のズレが生じないが、特に一流アスリートほど「ゾーンに入った」経験をしている。
その時間は非常にゆっくり流れているように感じたり、ものすごく加速した感じの中で自分の意識だけがゆっくりだったりする。
このゾーンに入った状態は瞑想状態にも当てはまるだろう。


参考(外部ブログ)
極度の集中状態、フロー状態からゾーンに入った体験 脳が覚醒した時の効果について

 

脳が集中力を増すほど時のスピードが変わる

いや一般人だって、時間のズレを認識できるはず。
身近な事例では、趣味に熱中していていつの間にか深夜になっていたとか、あまりに退屈すぎて、10分が3時間ほどの時間に感じるとか。

 

集中力が限界を超えて、極限の集中力を発揮した時、時間がずれ、脳もズレる。
このズレこそが、瞑想状態・トランス状態に深く入っている証拠。

 

つまり、時間の感覚がズレはじめた時、脳は変性意識状態に入り始めたことになり、極度に時間感覚が通常とかけ離れた時、脳は完全に別世界に入っている。
これこそが、瞑想状態の理想形だと思う。

 

深い瞑想状態には定義がいろいろとあるが、時間がずれるほど意識が変容状態に入ることが大きな要素だと思う。
瞑想を何時間も何十時間もぶっ続けでできる人間がいるのは、完全にトランスにトリップしているから、外から見ている普通意識の人間が想像する時間の流れとは違っている。

 

瞑想のおいて時間は厄介者、意識したら苦しむ

瞑想をやっていて、時間が完全にズレるほどの瞑想状態に入ったことがないのならば、まだまだやらなくてはいけないということかもしれない。
しかし、時間を意識した時点で、時間は苦痛の何者でもなくなる。
そこが大きな障害だ。

 

時間を忘れて没我の状態で瞑想の没頭することが大事だと言っても、どうやっていいかわからないし、時間を意識したら苦痛なだけ。
瞑想がうまくいかない時は、時間と戦うときだと言っていい。

 

なぜ長時間もぶっ続けで瞑想ができるのか?

では、どうやったら時間をずらす理想の瞑想状態になれるのか?

私の経験でも人から話を聞いても、長時間瞑想を続けられる人は、気持ちいいからに他ならない。
脳内麻薬が脳から全身、つま先まで巡ってくれるから、それに浸っていればいい。
疲れ切った身体を温泉につからせているように。
温泉はのぼせてしまうが、脳内麻薬は自分の中で出ているだけに、ずっと味わっていられる。

 

つまり、気持ちよくなることだ。
気持ちよさに浸っていると、時間がズレる。

 

時間の感覚をズラすコツ

しかし、ここでコツがある。
その気持ちよさも捨て去る、放り投げること。

 

そうすると、更に脳内麻薬が不思議とドバドバと出てくれる。
求めないから出てくれる。
この流れに入ると、脳内麻薬がさらにすごいことになり、本当に天国にいるような夢心地になる。
すべてと溶け合って一体化できる。

 

時間なんて忘れている。
一瞬は永遠だという宇宙意識を発見できる。
永遠は一瞬だと思ったり、完全に哲学を超えた哲学の感覚に浸れる。

 

その時、10分は10分ではない。
これが瞑想状態・トランス状態が引き起こす時間と感覚の奇跡だ。

 

どれだけ瞑想に深く入れるか、それは時間がどれだけズレるか。私の体験から

もう一つ、時間の感覚が異常にズレた私の体験を紹介したい。
最強誘導瞑想法を行える岩波先生が作り出す時間の魔法だ。

受けた多くの人が、ほんの数秒の出来事を
3日間寝ていた
一週間経ったようだ
1年のように感じる
いや50年、と再現がない時間のズレをいう。

同じ人がその感想がどんどん伸びている。
これらの感想は必ず聞けると思うので、耳を傾けてほしい。

 

私も時間が異常にズレた時、脳の奇跡を実感できた。
トランス状態が深まると、時間がどんどん時間が長く感じるようになり、「永遠は無駄、無は永遠だ」と通常発言すると、「アッチ側」の人間だと誤解されるようなことを口走ったこともある。
その時はとても感動して言葉に思わず出てしまったが、私は一つの真理を掴み取った感激があった。

 

覚醒瞑想状態は、自分でやる瞑想とは違って、ほんの数秒の誘導が年単位に感じる。
脳が極限を超越した証拠だと思う。

 

時間と脳と瞑想、時間とプライド

脳がズレたら瞑想状態になる。
脳がズレるということは時間の感覚がズレること。

瞑想状態・トランス状態とは時間の感覚が異常にズレればズレるほど、その効果が引き出される。

 

そして、私が確信したことがある。
いくら時間をかけて瞑想をしても、時間を意識した時点で効率が悪くなる。
時間をかけたのだからと効果を求めてしまいやすく、時間を意識して苦痛になりやすい。

 

時間のことを忘れよう。
積み上げてきた時間はとても大事だが、そこのプライドも捨てる。

そうするとはじめて、積み上げてきた時間が自分に味方をしてくれる。
時間がずれ、脳がずれ、奇跡的な効果と時間が到来する。

 

 

 

カテゴリ別記事紹介

 

 

瞑想状態と脳内をさらに覚醒させるためにやるべきこと、やってはいけないこと

 

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瞑想状態、これ以上深まりが難しいと感じる人へ


瞑想から最大限の効果をあげるために、やるべきこと、やってはいけないことがある

 

このスピードの早い現代社会。
社会人をしていると、身も心もすり減り、理性だけを使って、人間本来の純粋さが失われ、疲れ果ててしまう。

 

瞑想をやるからには、本来の自分を取り戻し、さらに脳内と瞑想を覚醒状態にもっていくぐらいやってしまったほうがいい。
それぐらいの可能性があるのだから。

 

瞑想で気合はいらない、必要なことはなにか?

しかし、瞑想覚醒状態・脳覚醒状態は、覚醒しようと気合を入れれば入れるわけではない。
むしろ逆で、「沈黙、黙想、状況判断しない、求めない」ことが覚醒条件だ。

 

カギカッコの言葉は、まさに瞑想のことだ。
どのようなことかというと、ただ在ること。
老荘思想的な無為自然、禅のあるがままと似ている。
デカルト的に「我思う、故に我あり」もただ在ることと似ているだろう。

 

ただ在ること、受け入れること、抗わないこと、流れのままに

なぜただ在ることが、覚醒状態につながるのか?
脳覚醒状態や瞑想覚醒状態とは、脳内や潜在意識の一番深いところに、自分の意識が潜り込んだ状態だ。
そこには創造性、閃き、直感力、そして本能の力が眠っている。

 

普段はそれを理性とメンタルブロックで抑え込んでいる。
それを瞑想で解き放つには、気合では駄目だ。
自分を放棄する、それぐらいにならないと、アクセスはできない。

 

しかし、不思議と「ただ在ること」で瞑想とトランス呼吸法を続けていると、脳が反応していくのがわかる。
それでも求めず、判断もせずに、すべてを受け入れてやっていると、さらに意識が深まっていく!

 

瞑想覚醒状態、脳覚醒状態のやばさ

それはとても静寂で純粋だ。
しかし、脳がやばいほどに活性化しているのも感じている。
まるで宇宙全体と一体化したかのような神秘体験とも言える。

 

これは瞑想以外ではありえない。
瞑想をリラックスやストレス解消法だけで終わらせるのは本当にもったいないのは、その先が永遠にあるからだ。

 

しかし、瞑想状態が覚醒しつつあるなかでも『判断しない』。
これは「いいことか・悪いこと」か「続けていいのか、やめるべきか」「求めていいのか、どうなのか」などは必要ない。
捨ててしまったほうがいい。

 

評価や分類や意味付けは放棄しよう。
これらの行為は理性を使い出す。
そうすると純粋な場がひどく乱れていく。
スーッと醒めていく。

 

そこも超えると、永遠の創造性、思いもよらないインスピレーションが降り注ぐ。
とても幸せで、興奮してしまう。
自分が何者なのか感覚でわかり、何をすべきか定まり、自分の中に強い波動エネルギーを感じる。

 

思考の中に瞑想の夢を破壊する毒薬がある

まだまだ脳覚醒状態には先があるだろう。
だが、もしそこで努力感と状況判断を使いだしたら、バブルが弾けるように夢から覚めてしまうだろう。
一瞬で見事な花を枯らす理性という毒薬が降り掛かったように。

 

 

ただ在ること、状況判断しないこと、求めないこと、受け入れること

 

この瞑想のコツが掴めたら、瞑想を覚醒させられる。
努力がいらない、ただ感じればいいのだから、ある意味とても楽だ。
瞑想は楽だ。
楽だと思えたら瞑想がますます楽しくなるし、神秘性が増す。

 

自力で難しいと感じた人へのおすすめ瞑想法

もしも自力で瞑想がこれ以上深まらないというジレンマに陥ったら、誘導式覚醒瞑想を受けてみてください。
ただ在ること、受け入れることをするだけで、脳覚醒状態に一瞬で入れるでしょう。

 

そして、家で「ただ在ること」を実践すれば、誰でも自分の力で瞑想覚醒状態に入れるようになります。
10年が1,2日に圧縮できる方法です。

 

 

 


 


 

究極の瞑想状態(超変性意識)に覚醒する大事なポイントが1つ

 

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瞑想を信じられる唯一の方程式

瞑想には大事な方程式がある。
これを知って瞑想をするのと知らないで瞑想をするのとでは、超変性意識に入れるか、時間を浪費するだけに終わるかの差が出てくる。

 

それは(瞑想に限らないが)何かを手に入れたければ、そのものへの執着を手放さなければならないこと。
瞑想は自由になるために存在しているといっていいかもしれない。
それなのにとらわれて、執着をしていることは、自分のマインドを縛り付けている行為だ。
瞑想をやるにしても瞑想への執着を消すことで悟りの道が開ける。
悟らなくても、変性意識に入れる。
それも、勝手に深まっていくのだ。

 

執着を捨てれば最高の宝物を拾える

 

瞑想や精神世界だけにとどまらない法則だ。
執着を捨てられた人間だけが、宝物を拾える。
手放せたものが自由を満喫できる。
それができない人はいつまでもとらわれて、目的も達成できず、さらに欲しがっては得られない欲求不満の人生になっていく。

 

 

もちろんそれを瞑想をやる人はどこかで知っているはずだ。
しかし、瞑想にそれを求めてしまう。
どうしても欲が出てしまい、効果を欲するあまり瞑想をものにしたくなる。

 

そうではなく、瞑想や精神世界のことすべても手放す覚悟でやる必要がある。
だからすべてを手に入れられる。

あなたが理想の瞑想状態、つまり超変性意識状態に覚醒した時、必ず求めていない精神状態になぜか入っていったと思う。
しかし、求めていないのに何故かあちらから求められる。

 

身近な例。眠りの精神状態

眠りもそうだ。
眠ろうとしたら眠れず、求めれば求めるほど神経が昂ぶり、眠る行為ができなくなる。
下手をすると不眠症となり、眠りに執着をするあまり、いつでも眠れる自由を失ってしまう。

 

瞑想も眠りも結果は求めないほうがいい。
執着の度合いがすぎると、なんにも得られず、おそらく思考の産業廃棄物だけが溜まっていくだけだ。

 

なぜ人は求めてしまうのか? 瞑想がうまくいかない原因

執着はなぜ生じるのか?
それは不安や恐怖から生まれる。
不安や恐怖から無意識的に逃れたいから、執着をする。
執着をしたその先は、安定と平穏が待っていると思うから。
しかし、瞑想や精神世界の心理は逆のところにある。

不安や恐怖を消したければ、求めてはいけない。
受け入れることだ。
それは覚悟に通じる。
覚悟ができた人だけが、すべてを手に入れられる。

 

仕事でも、人間関係でも、瞑想でも精神世界でも全てだ。
その匙加減が瞑想で学べるのだから、瞑想は様々なことを気づかせてくれる。
いや、なんにも発見できないまま瞑想をやるなんて、それこそ恐怖だ。

 

究極の瞑想状態、超変性意識が覚醒した状態とは?

逆に理想の超変性意識状態(瞑想状態)の時は不安や恐怖なんてなくなっている。
至福感に満たされ、安心感と充実感がとんでもない。
プラスのエネルギーに包まれ、すべての執着がない。
しかし、すべてをわかっている。
瞑想すらどうでも良くなる。
過去の苦しみもどうでもよく、未来への不安も感じない。
ただ自分が存在しており、肯定感の塊になっている。

 

結果なんていらない、求めない。だからこそ…

瞑想にはこんなすごい効果が確かにある。
だからといって、口を酸っぱくして言いたいが、それを求めてやろうとしてはいけない。
結果なんてどうでもいい。
どうせそうなるのならば、もとめない、執着しない、すべてを手放す。
瞑想すら捨てる気持ちで、瞑想や呼吸法をすればいい。

 

そして、瞑想のすばらしさを体験した人は、その次も、その素晴らしき体験を捨てる、手放す。
必ず昨日の経験を求めるからだ。

このコツが掴めたら、いつでも瞑想から人生を一変させる効果の恩恵に預かることができるだろう。

 

カテゴリ目次

 

 

 


 

瞑想を覚醒させる魔法がある さらなる高みへ、停滞を打ち破り瞑想の本質効果を得る方法

 

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瞑想を覚醒させてはじめて、瞑想は瞑想になる

なにやら禅問答のような書き出しから始まりましたが、瞑想というものはすぐ停滞しやすい。
なぜ瞑想は停滞するのか?
そして瞑想を覚醒させる魔法とは何か?

 

瞑想の達人が陥る罠

瞑想の厄介なところは、効果の凄さを知っている人、瞑想の神秘的で奇跡的な体験をした人ほど、瞑想に求めすぎてしまうポイントにある。
瞑想が得意な人は、瞑想に答えを求めたりしたら、逆に答えが出ないこともよく知っている。
しかし、無意識の何処かで効果を求めてしまっている。
知と感情は別だということだ。

 

それが停滞につながる。
しかし、効果を身をもって知っているだけにやめられない。
やめたらそれまでの修行も無駄になる。
だから続けるしかない。停滞感の中ででも。

 

瞑想を始めたばかりの人が直面する壁

一方、瞑想の効果をまだわかっていない人、でも本に書かれてあるように瞑想はなにかすごそうで、自分のベネフィットになると確信している人がいる。
しかし、瞑想がどれだけすごいのか実際に体験しなければつかめないから、やはり瞑想の効果を求めてしまう。

 

本に「ただあること」「その瞬間瞬間だけに意識を向けること」が書かれてあるが、瞑想の効果を求めて始めているのに、その心境にはなかなか達しない。
それこそ交通事故に合う確率で、たまたま瞑想のゾーンに入らなければわからない。
そのうち、瞑想はつまらなく味気なく苦しいだけだと思って、やめていってしまう。

 

瞑想を覚醒させる魔法

停滞感を打破したい、瞑想の真髄を体感したい人、自分のやってきた瞑想を遥かに高く深く覚醒させたい人にはとっておきの方法がある。
自分の瞑想力を爆発的加速する方法だ。
それはこのブログで度々紹介してきた岩波先生の瞑想覚醒誘導技術である。 

瞑想の体感の積み上げがない人も、瞑想に自信が持っている人も、瞑想の本質的な効果に誰でも触れられる。
どうやるのかは受けてからのお楽しみだ。
瞬間誘導瞑想で、別世界にいる。
その時全身全霊で、奇跡を目の当たりにするだろう。
(奇跡を感じられるかどうかは、回数も必要だが、感覚のいい人は初回から行ける)

 

ただ一つ言っておきたいことは、奇跡的な体感を味わえると入っても、岩波先生の誘導技術は、脳の瞑想スイッチを的確に押せる、まさに脳を知り尽くしている達人だからでいる神業だ。
それを岩波先生がまだ若い頃に発見していたが、まだまだ力技だったらしい。
それが今やどんな瞑想に入れない人ですら、瞬時に軽やかに瞑想を覚醒させられる奇跡体験を味合わせられるようになった。

 

こればかりは受けてみなければわからない!
瞑想に自信を持っている人、多くの時間を使って瞑想を深める努力をしてきた人にこそ受けて欲しい。
瞑想が更に次元の違う瞑想に生まれ変わる。

 

自分で瞑想を深めるために必要なこと

岩波先生の瞑想覚醒誘導技術で、自分でも瞑想をして神秘的な体験を味わえるようになるが、そこでコツが有る。

それは状況判断をしながらやってはいけないこと。
かといって、あんまり『いらぬことを考えてはならぬ』と緊張してやるものでもない。
すべての抵抗勢力を受け流し、自分で努力している部分があれば、それをすべて捨ててみることだ。

 

効果を求めず、答えも知ろうと思わず、自分の状況が良いか悪いかも判断しない。
それをやって、トランス呼吸法を努力せずやっていれば、勝手に脳が反応してくれるだろう。
それはあなたの瞑想スイッチが押されているから、あとはいつ作動するか待っていればいい。

必ずスイッチは押されるだろう。
自然発生的に。
決して押そうとは思わない。

 

これができたら、自分の力でもとんでもない奇跡を味わえるようになる。
こう書いてしまうと期待をもたせてしまうが、実際にそうなるのだから、ただ待てばいいだけ。
あとはやる必要はない。

 

ものすごい感動が待っている。

瞑想の覚醒を求める人へ 停滞し続ける瞑想の無駄をカットする

 

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停滞し続ける瞑想は時間の無駄

瞑想をやって、大きな効果を得た人は長く瞑想を続けることができる。
瞑想をしても雑念地獄にはまったり、すぐ寝てしまう人は、すぐに瞑想をしなくなる。

 

しかし、ある程度の瞑想の効果を味わった人は、より深い効果を求め、そして未知の精神世界への好奇心にかられて、瞑想をやり続ける。

しかし、一部の人は、もしかしたら瞑想を挫折しておいたほうが良かったのかもしれない。
それは瞑想が長く停滞し続けてしまう人に起こる。

 

なんにも変化の起きなくなった自分の心ほど虚しいものはない
いくら頑張っても、何の変化も起こさない。
以前は瞑想の希望に満ちた効果を得ていたのに、同じ人がスランプに陥ってしまうのだ。

 

瞑想はとても難しい、下手をすると時間だけ失うかもしれない

 

だから瞑想は非常に難しい。
そして停滞した時間は、なにか見返りが後でやってくるかと言うと、何にもない。
その停滞を乗り越えた人だけが、「なぜ瞑想がうまくいかないか」を学び、フィードバックすることができるが、ほとんどの人が瞑想がうまくいかないまま挫折するか、瞑想難民になっていく。

 

停滞した瞑想の時間を無駄にしないためにも、瞑想合宿に参加するが、一時的なリフレッシュ感や高揚感、非日常性の刺激により、効果を実感するが、すぐ日常に戻るとまた瞑想が停滞していく。

 

瞑想が停滞してしまう人は、日常生活でも停滞しやすい。
脳が低い位置で動いているからだ。
エンジンで言えば、アイドリング状態でアクセルを踏んでも、脳がうまく作動してくれない。

 

もし瞑想で停滞してしまった時間を、他の趣味や有意義なことに使っていたらどんな生産性があったのだろう?
かといって、瞑想の魅力もわかっているから、いまさらやめられないというジレンマに陥る。

せっかくやっているからと欲を出して、あるいは焦って瞑想をやると、ご存知の通りもっと悪循環にハマってしまう。

 

瞑想を覚醒させる手っ取り早い方法

 

瞑想とは脳であり、潜在意識であるから、瞑想の体感を自分の体感の記憶から呼び起こせればいい。
話はとても単純である。

 

必ずあなたが瞑想で体感した変性意識状態を脳が記憶しているから、それを引き出すだけだ。
引き出そうとしてはいけない。
ただ感じるだけだ。
求めずに、自然にあるがまま、自らの感覚を受け入れる。
あとは勝手に瞑想状態が忍び寄ってくるのを待つ。

 

しかし、そううまく理想的にはいかない。
だから瞑想は難しい。

 

感じようとすると、あるがまま感じればいいのに、意図的に瞑想に入ろうとしてしまうのだ。
自ら入っていったら、瞑想状態(変性意識状態)は逃げてしまう。
追えばますますなくなっていく。

 

負い続けたら、脳は遠い記憶の倉庫にしまってしまう。
脳とは厄介だ。
潜在意識的にも、瞑想の素晴らしい体感の記憶は心の底にしまわれ、日の目を見なくなる。

 

頑張れば頑張るほど成果が得られない虚しさも、瞑想の欠点と言えるだろう。
そして、魅力でもあるが。

 

瞑想覚醒法

では、感じたら勝手に瞑想状態が引き寄せられてくるというのならば、強い瞑想状態を脳に味合わせるのはどうか?
自分では求めてしまう。
それならば、誘導されて、強く深い瞑想状態を最初に体験してしまうのだ。

 

これができるのは世界に唯一人岩波先生しかいない。
100人中99人(あくまで私の感覚だが)が、初回からいきなり超がつく瞑想状態に入れる。
この瞑想状態は、他の瞑想法で味わえる、99倍の深さがあるし、これぐらい強烈な体感ができたら、いつでも家で瞑想状態を引き寄せることができる。

 

あとは私達は呼吸法やイメージ瞑想で、待てばいい。
(私の経験から、求めないでトランス呼吸法をやるのが一番近道だ)
脳の記憶が、簡単に引き出せるようになる。
岩波先生の誘導のトランス状態の深さにはかなわないが、「!!!!!????!!!!」としか思えない感覚がどんどん深まってくる。

 

ストレスもいつの間にか消え失せ、幸せな記憶の中で浸れる。
とても心地良いし、凄まじい感覚でもある。
宇宙の真理を見た感覚になったり、超越した感覚を味わえたり、悟りの世界にも入れる。

 

瞑想を覚醒させるには、一瞬で瞑想覚醒状態に入れる岩波先生の技術をおすすめしたい。
これまでの瞑想の苦労がたった一回で(一日三回ほど誘導される)超えてしまうだろう。
「これが求めていたものだ、これだ、これなんだ!」という感動が湧き出てくるはず。

 

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なぜ瞑想がうまくいかないのか? 防衛本能の一線を超越することの難しさと突破する方法

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瞑想は究極の無へリセットすること、しかしその現実

瞑想の理想は究極の無だという定義ができる。
無になること、リセットが完全になされるということは、すべての苦悩、ストレス、苦痛からの解放であり、自由なとらわれのない心を獲得できる状態だ。

 

しかし、人間はどうやら普通にやっていたら「無」になることはむずかしいらしい。
無になりたいのにできない。
すべてを瞑想でリセットしたいのに、リセットを試みようとする自分が一番に無になれない。

 

瞑想はとても難しい。
一番やっかいなことは、無になれそうなぐらい調子が良いときほど、無になっていく自分が歯止めをかけてしまうのだ。
なぜ無を欲するのに、無になりたくない深層心理が働くのだろうか?

 

無になれない瞑想は、下手をすると瞑想をするほど、無ではない自分にとらわれる結果になる。
この無になるという理想の状態を、自分で制限してしまう心理と脳のメカニズムを知らないと、先に進むことはないだろう。
一人で瞑想を黙々とやる弱点をそこにある。
弱点と原因を知ることこそ、より瞑想力が覚醒してくれることに繋がる。

 

無になれない原因

実は人間の潜在意識、深層心理というやつは、顕在意識とは全く違う。
ある人間を憎くてたまらない、しかし深層心理では実は愛していたなんてことは、愛憎劇でよくある。
人間には変身願望があるが、その実、変わるぐらいならば停滞した現状で甘んじている方を好んでいる、なんてことは誰にでもあることだ。

 

その変わりたいのに変われない自分を突破できた人間だけが、最高の成果を人生で獲得できる人だ。
つまり、自分の防衛本能を突破しなければならない。
しかし理性の努力では本能を超越することなんて不可能だ。
だから、瞑想が理想的な方法なのだが、困ったことに無になれば変われることを知っているのに、無になる自分が怖い。

 

瞑想をしても結局現実世界と同じ壁に直面するのだ。
防衛本能は、本能だから、変わっていく自分に歯止めをかけてくる。
瞑想を深くやり続けている人は、そこを何度も何度も味わっている。
必ず誰もがこの壁に直面するだろう。

 

瞑想の多くが効果なし、もしくは気休め程度で終わるのは防衛本能を破壊できないからだ。
まして、一人で黙々とやっている瞑想法では、自分の防衛本能の強さを再認識するだけに終わるだろう。
この壁を突破した人だけが、本当の瞑想マスターだ。
残念なことに、瞑想の指導者の多くが、瞑想の価値をちょっと知っているだけに過ぎない。
なぜならば、究極の無のすごみを味わったことがないからだ。

 

一人で瞑想をやることの危険性

ある種の人達は、リミッターを外すことができる。
天才とも言えるが、実は厄介な危険性がある。
禅病、瞑想の魔境といった言葉を聞いたことがないだろうか?

 

防衛本能を簡単に超越してしまう人は、それに陥りやすい。
努力や苦労をせずに突破してしまうだけに質が悪い。
無という理想の状態になるどころか、逆にこれまで抑圧してきた負のエネルギーに飲み込まれてしまうのだ。

 

瞑想の合宿で発狂状態になったり、急に外に飛び出していく人やまるで悪霊に憑依されたような錯乱状態になる人がいるが、まさにそれだ。
防衛本能が上手くかからないのだ。

 

だから防衛本能は必要だ。
しかし、理想的な瞑想状態を味わうためには邪魔者でしかない。

 

瞑想は禅病や瞑想の魔境に入らないためにも、瞑想から徹底的に効果を得たい人は、しっかりした実力のある瞑想指導者のもとでやるべきだ。
こつこつ一人で瞑想や呼吸法をする時間を確保しながら、定期的に瞑想指導者のもとで追求したほうがいい。
軌道に乗れば、自力で理想の状態に入れるようになる。

 

しかし、防衛本能の壁、それ以前に理性の壁を超えさせてくれない瞑想指導者のもとでは意味がない。
それならば一人でコツコツ気休めでもいいから瞑想をやっていたほうがいい。
リラックス軽減効果だけでも、やる価値はあるのだから。
だが、それならば温泉に入ったり、旅行に行ったり、好きな映画を見ていたほうが効果があるのかもしれないが。

 

瞬時に理性の壁、防衛本能の壁を超えさせてくれる方法がある。
誰でも壁の向こう側に行ける。
行き詰まっている人でも、99.9%大丈夫だ。
最強の誘導瞑想法については過去記事を読んでください。
またその体験談についても書いていきたい。 

 

 

 

 

 

 

 

瞑想から劇的な効果をあげることは難しそうだが、実は拍子抜けするくらい簡単である

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瞑想は自分で入ろうとすると実に難しい。
イライラするほど難しい。
調子が良い時はいいが、毎日は続かない。
毎日続かないとイライラしてくる、焦ってくるから、悪い流れに入りやすい。

 

あれこれ考えだすと、雑念が頭を支配し、ますます瞑想を難しくさせる。
「人間は考える葦である」だから、どうしても考えてしまう。
考えないように決意しても、考えないことを考えるというジレンマに陥る。

 

ジレンマに陥ったら、頭が重くなる。
もやもやした気持ちで瞑想をやろうとしても、頭がクリアになるどころか、無理やりクリアになりたい気持ちが、更に頭を重くする。

こう考えると瞑想は実に難しい、そして実に面白い。
だから、瞑想を難しくして断念してほしくない。
瞑想は本当にすごい可能性と価値観を持っていることは確かだ。
ただし瞑想状態に深く入らなければ何の意味もないのだ。

 

瞑想にはそういう意味では価値はない。
ということは、本を読んで瞑想がわかった気になっても、何の意味もないということだ。
それは変性意識状態に入れない瞑想は無価値だということ。

では、瞑想状態に深く入るためにはどうしたらいいのか?
こんな難しい瞑想で、効果を実感できる瞑想状態に入れるのか?

 

瞑想は自分と瞑想そのものを信じられなくなったらおしまいだ。
自分を信頼してすべてを委ねられるからこそ、瞑想状態に深く入っていく。
瞑想の可能性を信じきれるからこそ、身も心も瞑想に捧げられる。

 

だが、瞑想を難しいと思い込み、瞑想状態に入れるかどうかわからない自分を信頼することなど不可能だ。
そんな状態じゃ何をやっても効果を上げることはできないだろう。

ここで強く主張したい!
瞑想は拍子抜けするぐらい簡単だ。
瞑想状態に入ることなど朝飯前なのだ。

なぜか?
もとより瞑想を自力でやるものだという固定観念が間違っている。
瞑想は瞑想状態に入ることが目的だ。
それ以上でもそれ以下でもない。
つまり、瞑想状態に人に入れてもらえれば、もはや目的は達成したも同然だ。

 

瞑想状態に深く誘導できるプロに任せれば、簡単に瞑想状態を味わえる。
瞑想状態を味わえたら、今度はその感覚を思い出すだけでいい。
どうやって思い出すか?
それは呼吸法でも、マントラを唱えることでも、イメージングでも、阿字観でもいい。
瞑想状態を体感した脳は、必ず思い出してくれる。
あとは自分を信頼するだけだ。

 

瞑想状態を体感した脳は、すぐ再生してくれるだろう。
そこに努力も焦りも必要ない。
ただ待てばいい。
力を抜いて、感じるだけで、深い瞑想状態に自動的に入れるようになる。

 

そのコツを掴んだ時、瞑想は簡単だと思うだろう。
そう思えた時、自分を信頼し、瞑想の可能性を誰よりも信じられている。
だから、いつでも瞑想の効果を引っ張り出すことができるのだ。

 

 

 

 

 

 

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最強の瞑想状態(トランス状態)に入る方法とコツ

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瞑想状態に入るために、何が必要なのか?
究極の集中状態?
無念無想?
泰然自若?
すべてをあるがまま受け入れること?

 

この答えは、すべて理性を捨てることにあると思う
瞑想をしている人のイメージは、目を閉じて座禅をしている姿が思い浮かぶが、ああいうジッとしているだけが、本当の瞑想ではない
それが静ならば、動的な瞑想もある

 

岩波先生と瞑想談義をしたことがあるが、ダンス、踊りでもトランス状態に入れるという
岩波先生は、ジャワかバリ島の奥地で原住民が踊り狂って、トランス状態に入った異様な光景を見たことがあるらしい。
そんな話をしてくれたのを覚えている。

 

若い女性が、観光客向けじゃない本場のケチャダンスをして、踊り狂った挙げ句にトランス状態に入り、生きた鶏の首を噛みちぎった姿を見たそうだ。
もしかしたら幻覚成分を事前に女性は飲んでいたのかもしれないが(原始的な祭りではよくある)、踊りだけでも人はトランス状態に入り、神がかりの状態になれるのだとわかった。
巨大なキャンプファイヤーがあったそうだから、火の圧倒的な威力もトランス状態を深めたのかもしれない。

 

いずれにしても、バリ島の現地人は、トランス状態に入るには、いかに理性を制限させるかを経験値として知っていたに違いない。
アマゾンの奥地でも幻覚作用のある飲み物を飲んで、シャーマンが神と交信するというし、何がトランスに必要かわかっている。
理性を幻覚作用でなくしてしまうのだ。
しかし、それだけではただのジャンキーになってしまう。

 

バリ島の例では、踊り狂うということがキーポイントだろう。
非日常的な祭りという状況も手伝って、理性がただでさえ少なくなっている上に、踊り狂うのならば、感受性の強い女性ほどトランス状態に入ってしまうだろう。
祭り参加者がみんな集団トランスに入っていたのかもしれないし、まさに理想的なトランス状態(=瞑想状態)だろう。

 

踊る、ダンスをすることは理性があっては決してできない。
つまり、瞑想状態になれるダンスがあってもいいわけだ。
静かな瞑想が苦手で雑念に邪魔をされる人は、踊り狂って瞑想をするのもいいかもしれない。

 

岩波先生から教わったことに、動きを徹底的にやって、一気に静止状態になることもとても有効らしい。
それは踊り狂わなくても、一定のリズムで動いていて(例えば上半身をその場を動かずにゆらゆらさせるだけ)、それを何時間か続けた後に、動きを止めて大の字になると、一気にトランス状態にはいっていくそうだ。
動きからの静止はとても有効的だから、瞑想がうまくいっていない人は取り入れてもいいかもしれない。

 

動くことは理性をなくす。
瞑想を単一的に座禅をする、マントラを唱える、チャクラを開くなど静的な方法に頼らず、もっと瞑想の概念を破壊した上で、瞑想に取り組んだほうがいいのかもしれない。

 

瞑想とは瞑想状態に入ることが重要であり、瞑想状態に入れば手段はどうでもいいのだから。

 

 

 

 

 

瞑想で不安は消えるのか? 瞑想中に不安になることがあったらどう対処するべきか

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瞑想は不安を消してくれる。
心がやすらぎ、心の心配事や重荷がす~と消えていってくれる。
瞑想が効果を発揮する時、ネガティブな感情が収縮していき、一度まっさらな精神状態になり、そこからポジティブシンキングが生まれてくる。
様々な気づきが見出されていく。

 

しかし、瞑想状態が不安を消してくれることは事実だとしても、不安が消えてくれる瞑想状態に入るまでの間に、逆に不安になることがある。
我々の心のは常に防衛されている。
瞑想をやる人にとって、自分のメンタルブロックの手強さを身にしみていることだろうが、メンタルブロックがあるからこそ、日常ではぎりぎりネガティブな感情が発生せずに、心の隅に抑圧して生きていられる。

 

過去の私のように常日頃から、何かあると不安の感情に苦しめられるようになったら、本当に生きづらいから、メンタルブロックが頑張ってくれている。
そのメンタルブロックが瞑想中にふとした瞬間に外れることがある。
そうすると、不安や悲しみや怒りなどのネガティブ感情を抑圧してきた人でも、急に不安になり、そわそわして落ち着かなくなったり、悲しい過去に直面して精神的に落ち込んでしまう。

 

しかし、メンタルブロックを外れることはとても大事だ。
問題は自分の抱えている不安などのネガティブ感情を解消できる深い瞑想状態にまで自分を追い込めるかが大事になる。
一度、メンタルブロックが外れたのならば、それ自体は歓迎すべきことだから、行き着く先までやってしまったほうがいい。
それに瞑想にとても向いていると言えるのだから。

 

瞑想中に不安になることがあったら、どうしようとうろたえるのではなく、ましてパニックに自分でするのではなく、優しく受け入れてしまうことだ。
その不安の感情は、紛れもなく自分だ。
自分の分身だ。
ずっと抑圧して生きてきた。
あなたを不安の感情で必要以上に苦しめないためにも。

 

そしてあなたの人生そのものだ。
不安の感情だけじゃない。怒りや悲しみも。
もしかしたら、感情の渦の中に『喜び』『愛情』『幸福感』もあるのかもしれない。
今はネガティブな感情に覆い隠されていて、見出すことができないが、必ずあるはずだ。

 

とにかくネガティブな感情群を優しく抱きしめ受け入れてあげよう。
けっして突き放してもいけない。
同時に冷静に客観的に見ることも必要だ。
同化するのではなく、客観的に見ながら受け入れてやる。
受け入れるということが難しいならば、受け流す感じが良い。
ああ、これが自分の人生なのか、それが自分自身なのならしょうがない。
そこで反発したり、抜け出そうともがくと、焦り、怒り、極度の不安状態になるだけだ。

 

私も岩波英知先生の誘導によって、脳覚醒状態(覚醒瞑想状態)に入った時、メンタルブロックが一瞬で外れ、ものすごい感情の津波に心が襲われたことが何度かある。
言葉に絶する体感だったが、感情の津波の中に、様々な悪い感情、ずっと抑え込んできた感情、過去感じてきた感情、それは悪い感情だけじゃなく、愛情や喜びも入っていた。

メンタルブロックが外れている自分(と岩波先生の技術のすごさ)に感激しながらも、初めて直面する感情の津波にどう対処していいかわからなかった。
しかし、不思議と脱力感が体にあり、精神状態もやわらかい感覚があったため、冷静に受け流しながら、自分のネガティブな感情と向き合うことができていた。

 

それは脳覚醒状態という最強の瞑想状態に入れていたからであって、中途半端で一人でメンタルブロックが外れていたのならば、私はどう対処しようもなかったと思う。
一人でうろたえて、不安を消すための瞑想で不安が増す結果になったことを受け入れられずに、反発していたのではないか。
その結果、先に書いたようにさらにネガティブな感情に苦しめられていたに違いない

 

瞑想状態が極度に深まると、悪い感情が浄化していくことは間違いない。
その奥に隠れている、いい感情(喜び、幸せ、愛)を見出すことができたら、はじめて瞑想はとんでもない効果を生んでくれる。
これは私の体験談からも間違いないことだ。

 

瞑想をやって不安になる人がいるが、それは瞑想の特性上しょうがないことだ。
まずは瞑想状態の入り口に入れたことを喜ぶべき。
そして、不安の対処法をきちんとすることで、次のステップに進むことができる。

 

ただし非常に抑圧された人生を生きてきて、かつ感性が鋭い人は、一人ではやらないことをおすすめする。
ネガティブな感情の津波に飲み込まれた時に、冷静に強く対処できる指導者の力が絶対に必要だ。

 

 

 


 

 

 

 

体感、実感、体験のない瞑想に人生を変える力はゼロ いつまで無駄な瞑想を続ける!?

最強の瞑想法と超越瞑想やヴィパッサナー瞑想との比較と欠点

瞑想でもヨガでも禅でも何でもいい。
深い体感を伴わない瞑想は、取り組んだ労力に比べ、効果の乏しさを考えると恐怖でしかない。
瞑想を長くやっても一線を超越できないのに、これ以上先に進めるわけがない。
可能性はゼロではないが、限りなくゼロに近い。

 

何度も熱弁してきたように、体感のない瞑想は無駄だ。
浪費した時間からしたら、マイナスだからだ。

 

岩波英知先生は、体験のない瞑想は恐怖しかないと言っていた。
瞑想をやるからには体験してなんぼだ。
体験のない瞑想に何の意味があるのかと私も思う。
それがない瞑想ならば、多くの書籍を世界中からかき集めて、精神世界について研鑽を磨いていたほうが遥かにマシだと思う。

超越した瞑想状態を体験したことがない指導者が、瞑想を教えている矛盾もそうだし、例え瞑想で悟りに近づいた指導者であっても、その弟子に同じ超越した瞑想状態を誘導できない現実もある。

いくら高名な指導者であっても、瞑想セミナーや瞑想合宿を行っても、瞑想をする「場所」を提供することができない。
尊敬されているのは、指導者の教え、佇まいであって、決して参加者自らを深い瞑想に導いてくれる能力ではない。
数々の瞑想セミナー合宿で、どれだけ多くの人が内心幻滅しているだろうか。

 

自分の内面の心の傷、抑圧され鬱屈した感情、ネガティブな思考、孤独、愛情不足、人間関係のストレス、仕事の重圧、パワーや集中力の減少……
これらをなんとかしようと瞑想に時間とお金をかける。
しかし、瞑想だったらなんとかなると思うかもしれないが、そんな瞑想は甘くない。
そうは問屋が卸さない。

 

瞑想は心の内にネガティブ要素やマイナス思考が秘められている人にとって、逆効果になることすらある。
そうなったら、まだ何にも効果がなかったほうがマシだ。
瞑想は心の扉を一瞬開いた時、中途半端な瞑想の深さでは、ネガティブな精神状態という闇に飲まれてしまう。

 

つまり、瞑想ほど心を迷わせるものはない。
自分のできれば秘めておきたい、ないものとしておきたいトラウマや心の弱さを覗くこと──。
これを一人でやってしまうと抱えきれない抑圧に心を押しつぶされる危険性もある。


瞑想はうまくいかなくても時間の無駄、中途半端に瞑想に入ってしまうと、魔境を見る。
一人で安易に手を出すものではないのだ。

そしてめちゃくちゃに手強い奴がいる。
瞑想の最大の強敵となるものが、自分自身だ。
こいつがとにかく障害になる。
だから、心が落ち着くどころか、もどかしくなりそわそわし苛ついてしまう。
全てあるがまま受け入れろと言われても、そんな自分を受け入れられない。
なりたい自分を邪魔してくれる自分を受け入れるわけがない。
これも、瞑想が中途半端に甘くて浅いからだ。

瞑想をやったばっかりにコンディションがひどく悪化してしまうのは、開けたらいけない深淵のドロドロした扉を開かせ、見てはいけないものを見て、触れてはいけないものに触れてしまうからだ。
そこまですらたどり着かないのがほとんどにしても、一部の人は処理できないのに、足を踏み入れてしまう。
冬装備のない冬山登山、空気タンクのないダイビング、パラシュートのないスカイダイビング、着陸装置のない旅客機のようなものだ。

かといって、インド哲学や禅や瞑想や潜在意識の理論が卓越しても何の意味もない。
すべて強烈な実感がないから、いつまでも上達できない。
そして現在すごい感覚を味わえていない人間は、一生そこに到達できない現実がある。

いつか瞑想で願いが叶うといいなということはありえない!
岩波先生は「実感ゼロから一は生まれない」と言う。
人間がその人生を大きく変える時、強烈な実感がある。
奇跡的実感、神秘的実感、悟り的実感、雷に打たれたような実感、スーッと完全に心が定まる実感…
これがあるから、人生が大きく飛躍する。


仮に変性意識状態、瞑想状態が一にたどり着いても、日常の惰性に流され、十にも届かない。
ゼロはゼロ、一は一だ。
瞑想をやるからには結果を出すしかない、さもなくばやる義務はなにもない。

瞑想をやっている人に対して、非常に失礼ないことを書いているのをわかった上で、あえて書いている。
世の中のマインドフルネスとかヨガとか瞑想とかスピリチュアルの「ごっこ遊び」の情報に触れると、そんなものでいいのか!?と憤ることがある。
ライトにやるのもいいかもしれないが、心の内に潜っていく行為は下手をすると人生のコンディションをひどく落としてしまう。

 

特に瞑想をやるような人は、もともと感受性がある人が多い(その感受性を持ってしても、超越した瞑想状態にはほとんど入れないが)。
下手に手を出して大やけどを追わないように、瞑想は覚悟を決めてやるべきだと思う。
これほど主体的に取り組まなければならないものはないのだから。