瞑想にはいろいろな種類があるが、どの方法も心に平穏と静けさをもたらしてくれる。
実際にその効果をどこも語っているが、無意識の底から抑圧がなくなった上での平穏さと、表面的に『臭いものに蓋』の平穏さは違う。
もちろん、心がかき乱されている状態が毎日続けるよりも格段にいいわけだが、瞑想の効果をそのレベルで留めていくことはもったいないことだと思う。
瞑想の可能性はもっと高く、もっと深く、人智を遥かに超えた効果をもたらしてくれるのだ。
表面的に心に静けさがやってきても、もっと奥の無意識にはドロドロとした抑圧がある。
この抑圧は程度の差はあれ、誰でも持っている。
誰もがこの抑圧と折り合いをつけながら生活をしているし、この抑圧が有意識にまで上ってきたら、それは神経症になったり、メンタルの不調に陥る。
瞑想で表面的な効果だけで、もっと根っこのところを無視していると、いつか溜まりに溜まった抑圧のエネルギーが爆発してしまう。
それは生きているだけで不安になったり、孤独感がひどくなったり、つねに神経がピリピリしたり、いい感情が出てこなくなったりする。
瞑想を決して、抗不安薬や向精神薬として使ってはいけないと思う。
一時しのぎは、文字通りしのげるのは短期間だけだ。
人生は長いし、人生のどこかでガタが来てしまったら、私のように苦しい思いをすることになる。
悩みは抑圧をするからどんどん悩みが悪化する。
抑圧された悩みのエネルギーを、それこそ無意識から解放することができたら、悩みは悩みではなくなる。
なんでこんなことにくよくよ悩んでいたんだと思う。
そして自分を受け入れることができる。
あるがままに生きられるし、すべてのとらわれから解放される。
私はこの体験があり、本当に生きるのが楽になった。
下手な瞑想法は、表面的に顕在意識の上で平穏さを取り戻させることで、もっと解決しなくてはいけない問題の根っこに蓋をしてしまう。
解決は先延ばしになると同時に、抑圧だけは気づかないうちに溜まっている。
そして抑圧のエネルギーが爆発した時、完全に不安・恐怖・焦燥感・抑うつ感・孤独感・怒り・哀しみ・無感動に完全にマインドが支配されてしまう。
これは抗不安薬などに頼り続けて、日々をしのいでいると、根本原因を解決できないまま、いつか薬の効果が現れなくなった時、一気に悪化するケースと似ている。
そもそも瞑想をやるからには、一番根底の部分から自分の心を浄化することになったはず。
抑圧したものを解放させるためのはず。
しかし、表面的な瞑想の効果は、逆にそれを見えなくさせてしまう。
そしてせっかく味わった効果をまた味わおうと、人は頑張ってしまう。
有意識オンリーの瞑想をして、表面的な効果すら味わえなくなっていく。