悟りは求める者には降りてこない過酷な現実
瞑想は、ある悟りを得るためにやるもの。
その悟りの次元や大小強弱と種類はあるけれど、みんな何かを発見したい、気づいてパワーアップしたい、心を整えたいと思っているのは、そんなに外れた意見ではないと思う。
だけれども、悟りというやつは、求めるものには絶対に舞い降りてくれない悲しい現実。
すごく矛盾しているけれど、要は求めているんだけど、それすら捨て去ることができる人間だけが悟りの境地に達するんだと思う。
まだまだ次元の低い悟りだけれども、私なりに多くの悟りを得ることができた(岩波先生の言うように高尚な悟りだけが悟りではない。先生はそれを気づき、悟り的気づきと言っている)
そのどの瞬間も、やっぱり求めていたら遠のいて、それで迷って焦っての繰り返しだったの。
しかし、家でトランス呼吸法をやり続けていた時、ふと力が抜けてもうどうでもいいやーと思った時に急に「あっ!!!!」と思うことが何度もあった。
岩波先生の脳覚醒瞑想誘導のときもそう。
無理に自分から脳覚醒状態(トランス状態とか超変性瞑想状態)に入ろうとすると深さがなく余韻も短く、それを捨てた時、急激に全身の力が抜け、瞬間的に深い脳覚醒状態に入れる。
トランス呼吸法もまったく同じ理屈で、いくら5時間呼吸法をしようが何の変化もなくただ苦痛と時間と雑念との戦いに入っていたのが、あら不思議、「もういいやどうでもいいやなるようになれよばからしいー」となった時に、にわかに呼吸法の質が向上し、ものすごい波動が出ているような息を吐けるようになったことが何度もある。
つまりいずれの次元の悟りにおいても、求め続けるスケベ根性と知恵のかたまりの人は排除されてしまうということ。
まあ、岩波先生の瞑想法の技術ならば、スケベ根性とか知恵とか意図的に悟ろうとする雑念のようなものの、遥か上を飛び越えてくれるから、いずれは誰であっても深い覚醒瞑想体験ができるんだけどね。
過去ログです
強い実感と実践での武器を身につけた私の過去と未来
私は瞑想をやる方に多く見られるように、人間の可能性、それも精神世界や脳内という分野で私の眠れる可能性を開花させたいと思ってきた。
とにかく強くなれたわけで、そんなことからもオススメです。
実践でも武器とならねばすべては無意味だ!
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脳覚醒状態の可能性を感じさせる体感とは
脳覚醒状態は、超が10個つくほど深い意識が変容した状態のこと。
一般常識からしたら、非常識な出来事に近いし、ならなければわからない状態だ。
一言で言えば『あり得ない!』。
体感しなくちゃわからないし、その凄さをどう表現したらいいかわからないが、あえてこのブログで表現してみたい。
岩波先生は誇大表現じゃなく、その保有するノウハウはやばいほど非常に高いレベルに達している。
現在も技術的に進化させているらしいが、岩波先生誘導の脳覚醒状態は、とにかく凄みとインパクトととんでもない心地よさと感動が待っている。
それらが一つの体感として味わえるから、とにかくダイナミズムにあふれている。
そして、それがどんどん進化し続けている。
脳が覚えた感覚が、その次の脳覚醒状態に入った時、軽く超えてしまうのだ。
もうこれ以上のありえない感覚はありえない! ということもありえなくしてしまうのだ(なんのこっちゃ)
毎回はるかに上を行く感覚体験をする。
じゃあ、もっと先に進んだら狂ってしまうのではないか?と思われるかもしれない。
そんな心配は全く無用だ。
それが脳の偉大なところで、かつ限界がない深さがあると実感できるところだ。
はるかに感動が増し、幸せな感覚に浸ることができて、そのあとにくる余韻(とにかく脳内快感物質、脳内麻薬物質に全身が包まれている多幸感)がこれまた長いし深い。
思わず岩波先生を抱きしめたくなるほど、そこに導いてくれた先生に感謝したくなる。
これは私だけではなく、深い脳覚醒状態に入って人は例外なく握手を求める。
まあ、本当は抱きしめたくなっちゃうんだけど。
とにかく感動と余韻が凄い。
俺って生まれてきてよかった!
これから頑張ってやるぞ!
この気持に素直になれるから凄い。
そして多くのことを発見できる。
自分のこと、世の中のこと、すべてにおいて脳の直感が鋭くなる。
これが岩波先生の言われる「悟り的気づき」というもので、いくら考えても到達しない発見が、脳覚醒状態に入ればなされるのだ。
この直感は人生の指針となってくれている。
まさに的を射て、腑に落ちて、そしてピンと一本心の通った直感なのだ。
他の人と同じように、本を読んでもありがたい話を聞いても実感が掴めなかった私でも、深いトランス状態を減ることで、脳が覚醒したのだと思う。
脳が自由になっているのも感じられる。
すべてのしがらみからの解放感といったらない
そして脳の中で色々な神経伝達物質が飛び交っているのもわかる。
脳が活性化して、私に不可能なことなど何もないんだとまで思える。
何かに包まれ安心していながら、リスクに立ち向かっていける精神力もこの時に身にまとっている。
私なら行ける! 私ならやれる! 私なら大丈夫!
この強い自信と安心感と冒険心は、脳覚醒状態に入ったからこそ手に入れることができる。
まさに無敵の精神状態である!
あなたは幸せを全身で震えるくらい味わったことがあるか?
ない人は不幸だと思う。
いやいや岩波先生の技術を体験した人こそが幸せだ。
突き抜けた感動と幸福感、まさに自己肯定感の塊になれる。
弱点がある人は、脳覚醒状態の時に弱点を思い浮かべることで、弱点への解釈が変化し、執着を減らすことができる。
その結果、心が大きくなり、弱点に引っ張られない精神状態になれる。
この無限の可能性を持つ脳覚醒状態を経験していない人は、自らの可能性を捨てているようなものだと言いたい。
特にずっと瞑想を追求してきた人にとって、革命が起こるだろう。
私には革命が起こったのだから。
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瞑想をダラダラと続けることに意味はないと思う
ダラダラと瞑想を続けていたって、埒が明かないとは思いませんか?
時間をたくさん積み重ねたところで、決して悟りはひらけません。
悟りを開くには、ある種いかれた精神状態に入っていないと難しいものです。
しかし、いくら瞑想を重ねたところで、我々の理性はいかれさせることを拒否してしまう。
つまり我々の理性をはるかに飛び越えた体感が必要。
残念ながら瞑想にはその力がないのだ。
瞑想はうまくはまったとき、すごく心が洗われる。
ある種の真理に到達できる。
だが、うまくハマること自体が少ない。
だが、岩波先生の脳覚醒瞑想なら、どんな人間でもハマる。
とんでもない精神体感が待っている。
そして、様々な目的で通っている多くの人が、自分の心に決着をつけているのを見ても、改めて普通じゃないいかれた精神状態になることが、己を変える唯一絶対の道なんだと思う。
いかれたと書くと、ほんとうに頭が逝かれることへの恐怖を持つかもしれないが、そんなことは全くないので安心して。
本当に深い脳覚醒瞑想状態に入った人は、例外なく生きる歓び、存在価値の再確認、モチベーションの劇的向上、心の傷の癒やし、最高のまどろみと余韻の体感に至っている。
人間は普通にやっていたのでは変化しない。
生半可にズレているだけでも効果が無い。
だが、お釈迦様が体験した瞑想状態をあるいは超える体感にひたれるならば、その可能性は無限とは思わないですか?
しかもダラダラ時間をかけてそこに至るのではなく、一瞬のうちにいってしまう。
短期で劇的、そして驚異的なのが岩波先生の技術だ。
脳内・無意識訴求技術(脳覚醒技術)は、本当にぶっ飛んでいる。
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