瞑想を覚醒させる魔法 岩波英知脳覚醒プログラムについてのブログ

瞑想を熱心にやってきたブログ主の体験談。主に岩波英知先生の脳覚醒プログラムについて。すごい?怪しい?効果は?

理性の限界を知り、瞑想で本能の解放をすれば潜在意識から覚醒できる

理性と本能はお互いに打ち消し合う関係にある。
理性が強すぎる人間は、人生を楽しめない。
本能が強い人間は動物的でパワーがあるが、過度に行き過ぎるとただの獣になる。

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人間は社会生活を送らなければならないが、どちらかと言うと理性が強くなったほうが、社会はうまくいきやすい。
ただしそれは表面上の話であって、生きる喜びを制限することにもつながるため、その匙加減が本当に難しいと思う。
社会生活には本能を制限したほうが為政者にとっては都合がいいのかもしれないが、私達個人の生活にとってはどうか?

 

理性でガチガチの生活を続けた人間は、パワーが無くなり、生命エネルギーが先細っていくことは事実だ。
そればかりか、脳が画一的な場面でしか発揮できなくなり(いわば歯車としての脳みそになる)、私生活においても感動が減っていく。
これはとても不幸だ。

 

人間が生まれてきた意味は、社会生活を送るためだけではなく、感動するためだ。
その感動は理性を制限したときに花開くことは事実。
そして社会生活と折り合いをつけながら、感動しようと行動をする。
しかし、あまりにストレスだらけで疲れてしまうと、いつの間にか大事な本能まで制限してしまい、肝心の理性の面でもコンピュータが狂っていく。

 

それは本能から得られる栄養分がなくなり、本能の上に乗っかっている理性の働きまで鈍くしてしまうからだ。
だいたいエネルギッシュで行動してたくさん感動している人間ほど、脳みその使い方が上手い。
理性を使い果たして、何にも生み出せない脳みそを持った人間は、単純作業だけをやるならまだしも、生産性のあることができなくなっていく。

 

生きづらさも理性を使いすぎるからだ。
だからこそ、そういう生き方に疑問を持った人は、瞑想や座禅やヨーガをやる。
理性では説明できないようなスピリチュアル、精神世界に生き方のヒントを求める。
それはすなわち、本能の解放をしようとしている。

 

ずっと理性で抑え込んできた本能を解放して、本来の人間らしい生き方を取り戻そうとしている。
そして本能を解放した時の感動を求めている。
潜在意識を覚醒したときの喜びの実感を無意識で欲しているのだと思う。

 

本能で生きている人は疲れない。
動くほどエネルギーが湧いて出てくる。
理性の人は努力すればするほどすり減っていく。ストレスが溜まっていく。
そのはけ口もない。

本能を解放したときにだけ、ストレスが消えて出ていってくれる。
だからこそ、瞑想が必要だ。
瞑想は決して理性を使ったらうまくいかない。
理性がいかに無駄で、邪魔なものかがはっきりわかる。

瞑想の本当の効果をさらにあるが、少なくとも理性に頼りすぎる自分に気付けただけでも大きな価値はあるんだと思う。
瞑想状態、それも超瞑想状態に入ることさえできたら、心がリセットされる。
潜在意識の働きが覚醒し、脳みそも異常に活性化する。
本能が解放されていく原始的な感動にも浸れる。
これが一番自分に必要なものだったのだと気づくに違いない。

 

まずは理性の限界を知ることだ。
意外に人は自分が理性に縛られていることに気づいていない。
しかし、瞑想に取り組むと、うまくいかない自分に直面するだろう。
そのとき理性でものごとを追求する刷り込みがされていることに気付かされる。

 

そして、そんな自分では大きな発想ができないこともわかる。
そうなるといくら理性を鍛えても限界があり、本能が本当に覚醒したときにこそ、大きく人生が変わることに気づいていく。

 

瞑想そのものの効果をまずは感じなくても、その流れを知ることだけでも、瞑想(座禅でもヨーガでもマインドフルネスでもよい)に取り組んだ甲斐があったに違いない。

 

 

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